人間社会に関する現象の因果関係の考察の難しさを示すという点で、とても面白い問いですね。このような現象は複雑で、ある問題に対する回答の候補は無数にあります。このとき、問題を分解して切り分けてひとつひとつ考察していくことが大切ですし、問題自体を適切に捉えられているかも問われます。長くなりますが、順を追って紐解いてみたいと思います。
問題の整理
まず、この問いの内容を分解することで論点を整理してみます。
この疑問は、①「国会議員には地域を発展させる(衰退させない)力があるという仮定」が前提としてあり、このとき②「より議員の数が多い地方は発展する(衰退しない)という予想」が成り立つけど、実際には③「地方は衰退しているという結果」となっていることを認識し、この予想と結果のギャップが生じるのは何故かを問うという構造となっています。
このとき単純には、①仮定が誤り、②(仮定が正しくとも)予想が誤り、③仮定も予想も適切だが、別の要因等により予想通りの結果が導かれない、というのが「答え」の方向となるでしょう。なお、結果の観測の誤り(=実は地方は衰退していない)の可能性は、ここでは考慮しません。
「答え」の探索の方向
次に、それぞれの「答え」の方向を考えてみましょう。
①の方向なら、国会議員は地域の盛衰に関わるような力を持っていない、と考えることになります。たとえば、日本の政治過程においては予算も法律も内閣(政府)が作成しており、国会議員が個々の施策を動かす力は無い、というような議論を検討すればよいでしょうか。
②の方向では、国会議員は地域の盛衰に関わる能力を持ってはいるものの、一票の重い地域にその効果が偏らないのは何故か探ることになります。個々の議員に力はあるけど、その力に大小があり、単純に数だけでは決まらない、とか。
あるいは、議員が政策に影響を及ぼしているとしても(仮定が正しくとも)、自分の選挙区の発展のためにその力を行使するわけではないので地方は発展しない(予想通りとならない)、と考えることもできます。この場合、国会議員は個別選挙区の利益ではなく国全体を考えるのだとしても、その力を自分や支持者の利益のために使い地域の発展に向けない(あるいは阻害する)としても、どちらでも議論は成り立ちます。
③の方向は多種多様に考えられますが、政治で動かせる以上に他の要因で地域の盛衰が決まると一般化できます。議員が地域の発展のために力を行使し、それが効果をもたらしてもいるが、それ以上に社会、経済の動きが大きく、農村は衰退の一途をたどっている、という方向で考えるわけです。もっと一般化して、社会、経済の動きに(日本の)政治は弱すぎて抗うことができない、と。
ここからさらに疑問を細かく考察、観察していくこともできますが、冗長になるので止めておきます。
因果関係を確認する困難
疑問に対し、より適切な、正しそうな答えを探す際、事実と照らし合わせてその答え(あるいは疑問の前提なども)は矛盾しないか考えていくことが重要です。もちろん、関連する全ての要素について事実確認を行う(データにより仮説を検証する)ことは困難ですが、基本的な事実について確認し考察することは大切です。
今回の疑問の場合、「一票の格差」と「地方の衰退」というデータが鍵となっています。この両者の関係を確認して、一票の価値が重い地域ほど衰退しているような相関関係が確認されれば、今回の疑問は正当と思えるかもしれません。しかし、ここに落とし穴があります。
「地方の衰退」を数値で示そうと思ったら、だいたい人口統計を用います。社会減でも高齢化率でも何でもよいですが、基本的に人口減少(正確には人口増減率の地域間格差)が関わる問題です。そして、「一票の格差」も同様です。つまり2つとも、人口で表現できるという意味で実はとても近い概念です。定数是正のタイムラグを加味すれば、両者は相関して当然ということになります。
さてこのとき、一票が重いと(人口に比して議員の数が多いと)、その地域を発展させるとすればどうでしょうか? その地域の人口が増え、同時に一票も軽くなっていくことになるでしょう。この場合、仮に議員(の数)に地域を発展させる力があったとしても、人口あたりの議員の数の多少と地域の盛衰の相関関係を確認できないということになります。
今回の疑問は、人口あたりの議員の数が地域の盛衰を決めるという因果関係を仮定したうえで、データからその仮定が成り立っていないと判断し、因果関係が成立しない理由や因果効果を阻害する別の要素の提示を求めるものです。しかし、仮定した因果関係は時間軸の中で一方向でなく双方向に関わり、かつ(仮定が正しいとすれば)互いにデータ上の関係性を弱める方向に作用するものです。
このとき、仮に議員に地域を栄えさせる力があったとしても、それはデータ上観察しにくいものとなり、疑問が前提とした予想と結果のギャップの印象(人口比で議員の数が多い地方が衰退している)だけが残りやすくなります。つまり、疑問自体が適切でない可能性があるわけです。
一票の格差だけでは大して有利にならない
このような因果関係観察上の厄介さも含めて、「一票の格差」は、日本の地方の盛衰状況、地方間の成長格差を考察する際には余計な要素と言えます。この点について、一票の格差の大きさとその意味から考えてみましょう。
日本の選挙制度は、昔から一定範囲の平面で区切った選挙区を基本としています。各選挙区から選出される議員数の全議員数に対する比率と、同じ選挙区に居住する人口の全人口に対する比率のアンバランスである定数不均衡は、昔から存在しています。一票の格差は確かに問題として存在し続けています。
しかし、よく報道される2倍、3倍といった数字は、最少と最大の比であって、大都市圏と農村部の典型的な格差を示すわけではありません。定数不均衡を解消するための定数是正もたびたび行われ、大都市部の議員の数や割合はそのたびに増えています。議員によって代表される大都市圏の声は拡大し続けていると表現できます。
図1は、衆議院における南関東の1都3県、愛知県、京都府、大阪府、兵庫県の選出議員数の全体に対する割合を選挙ごとに示しています。かつて4分の1程度だった三大都市圏の議員割合は3分の1を超えています。また、比例区を含めれば近年は4割前後となっています。大都市圏の議員の割合が高くなれば、当然、衰退している地方から選出される議員の割合は低くなってきます。
一票が重いということは、その選挙区の“人口の水準に比べて”議員の数が多いことを示しますが、一票が重い地域の議員の数自体が他に比べて多いことを保証するものではありません。一票が重いだけで都市部に比べて著しく有利になるわけではなく、両者の差を少し埋める程度のものでしかないのです。
重要なのは自民党内政治過程
それでも、農村部の声のほうが都市部の意見よりも通りやすいように感じるかもしれません。たとえば、歴代首相の多くは大都市圏ではなく農村部から選出されています。
実際、農村部選出議員のほうが有力な政治家が多く、中央政界での影響力が強いと言えます。これは、農村部ほど自民党の支持率が高く、与党に占める農村部の議員の割合が高く、かつ当選回数主義を採る自民党内では当選を継続しやすい農村部の議員ほど出世しやすいためです。
現在は事情がだいぶ異なりますが、中選挙区時代の自民党は農村部選出議員のほうが資金集めでも有利で、したがって大きな派閥の領袖は農村部選出議員によってほぼ占められていました。この背景にある公共事業などによる農村部への利益誘導は、中央から地方への予算配分の仕組みの中で、歴代自民党政権下で進められたことです。政治において都市部に比べ農村部の声が優遇される農村バイアスは、自民党内の政治過程を通じて拡大していたのだと言えます。
それら歴代自民党政権による地方政策が地方の衰退を抑制したのか促進したのかを簡単に言えはしませんが、現状を見れば少なくともあまり効果がなかったとは言えるでしょう。農業人口の減少を(公共事業主導の)土木建設業人口である程度吸収し、農村部の人口急減を防いだとする議論もありますが、無論これは安定的、継続的な人口維持の手法ではないでしょう。そうした産業への就業を目指さず、ホワイトカラーへの就業を目指そうと思ったら大都市圏に出るのが近道になりますし。
それでもこのような「土建国家」政策が採用されたのは、やはり議員とその支持者にとって利益になるからでしょう。その点で、先の「その力を自分や支持者の利益のために使い地域の発展に向けない」という回答が筆者の見解に最も近いものです。
そして現在では、地域振興のための事業は小粒化し、「地方創生」のような地方への責任転嫁策を実施してお茶を濁すようになっています。大都市圏への人口集中に歯止めをかける明確なビジョンもないですね。これは、昔に比べ今の自民党と自民党議員は、カネよりもまず票を必要としており、したがって人口規模の大きな大都市に目が向いているためではないかと考えています。
大都市住民に自民党政権が目を向けるようになったと捉えれば、これ自体は決して悪いばかりではありません。実際、かつてに比べて待機児童問題などに熱心になり、ジェンダーギャップを抑制しようという傾向が出てきたことは、評価できます。
しかし、大都市への人口集中が半ば放置され、住居費の高い過密地域で暮らさなければならないため人々の生活は相対的に貧しくなり、少子高齢化、晩婚化・未婚化などの社会問題の共通要因となっているとすれば、そうした近年の“都市住民目線”もマッチポンプのようなものだと捉えられますね。
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2023/6/1追記
「地方創生」については、こちらで回答しています。ご参考まで。