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    お嬢さんにズバッと回答できる自信はありませんが、かみ砕いた回答としては次のようになります。語末の綴字が -s だけだと発音が「ス」か「ズ」かが分かりにくいので、「ス」の発音であることを確実に示すために -ss と綴ることになっています。

    もう少し丁寧に述べれば、語末子音が [z] ではなく [s] であることを確実に示すために、歴史を通じて英語の綴り手たちが発展させてきた慣習に基づく綴字ということになります。

    以下、英語史の観点からさらに詳しく解説します。特に語末において [s] と [z] の発音をどのように綴るかをめぐっては、きわめて複雑な経緯と事情があります。最初から [s] は -s で、[z] は -z で綴ることに決めていれば面倒はないはずなのですが、そもそも古英語(紀元700年頃~1100年頃)と呼ばれる段階の英語には、現代のような [s] と [z] の「機能的」な区別はなかったのです(ただし実際の発音としての区別はありました)。[s] と [z] に機能的な区別がない以上、別々の文字を割り当てるのは不経済ですので、事実上 s という1種類の文字だけを採用し、それを [s] にも [z] にも当てていました。当時は、これで十分に用を足していたのです。

    その後、中英語(1100年頃~1500年頃)の時代に、様々な事情を経て /s/ と /z/ が、現代のように異なる機能をもつ別々の「音素」として独立していきました。そうなると両音を綴字上でも書き分けたいという欲求が生じます。そこで、(語末に限った話しをしますが)/s/ と /z/ のそれぞれに対して、様々な綴り方が登場してくることになります。

    /s/ に対しては -s のほか例えば -ss, -se, -ce などの綴字があてがわれました。一方、/z/ に対しては新たな -z, -ze, -zz などが登場してきますが、両音の区別のなかった前代からの惰性により、-s, -se もしつこく継続しました。このように新綴字の提案と旧綴字の温存が中途半端になされてしまったために、-s や -se などは、今の今まで結局のところ /s/ にも /z/ にも対応する形で残ってしまっているケースが多いです。locks /lɑks/ と logs /lɑgz/、base /beɪs/ と phase /feɪz/、名詞 house /haʊs/ と動詞 house /haʊz/ などを比べると分かると思います。実際には、まったくのでたらめの運用ではないものの、一見するとカオスですね。

    このような状況で、語末の /s/ を明確に表わす便法の1つとして -ss が用いられるようになりました。この便法は、とりわけ直前の母音が歴史的に短母音だった場合に好まれます。標題の boss をはじめ loss, moss, toss, kiss, chess, pass, puss などが例として上がってきます。また、-ss という綴字には、対応する /s/ が複数形の -s や3単現の -s ではなく、語幹の一部としての /s/ であることを明確に伝える役割もあります。

    /s/ と /z/ をいかにして綴り分けるかという問題は、このように厄介な歴史を背負っており、一筋縄では行きません。おおよそ同じ事情が別の摩擦音と呼ばれる系列にも当てはまり、/f/ と /v/、/θ/ と /ð/ の綴り分けも英語綴字史上、課題であり続けました。

    質問者のお嬢さんは、boss の -ss について「-s は1つでよいはずなのに」という前提を抱いていたことと思います。なぜ1つでよいのに2つなのかと。これはきわめて自然な前提ですし、とてもよい素朴な疑問だと思います。ぜひ褒めてあげてくださいね。

    一方、現実の世界は複雑で、-ss の対抗馬としては -s のみならず -se, -ce もありますし、さらには -z, -ze, -zz なども横やりを入れてきています。-s か -ss かという単純な二者択一ではないというのが、厄介なところです。