2022年のM1グランプリではウエストランドがビートたけしを彷彿とさせるような毒舌漫才で四方八方を傷つけながら優勝しました。

そのとき審査員の方々から「今の時代は人を傷つけない笑いが良しとされているが(中略)本来お笑いには毒がある」とか「窮屈な時代だが毒舌漫才もまだまだ受け入れられる」といったコメントが出て、Twitterなどでも賛同の声が広がっていました。

この一連から、日本にもポリティカル・コレクトネス(以下ポリコレ)が重視される時代への閉塞感やいら立ちが共有されていると感じたのですが、その一方で、他国と比べるとそのような反ポリコレの動きはまだまだ表面化していないように感じます。

例えば反ポリコレ、反エリートを掲げるトランプが大統領をやっていたアメリカを筆頭に、フランスではルペンが、スウェーデンやイタリアでも保守的な政治勢力が台頭しています。

先日のM1を見ても、日本でもこうした政治家や政党が支持を集める土壌が整っている気がするのですが、なぜそうした政治勢力が出てこないのでしょうか?

質問に書かれている通り、ポリティカル・コレクトネスに反対するということは、保守(conservative)的な立場を掲げることになると思います。

しかし、日本においては保守政党として自民党が圧倒的な地位を占めており、新たな政党が基本的には大きな社会変革を望まない保守層の支持を集めることは難しいかと思います。

したがって、反ポリティカル・コレクトネスを掲げる政党が「一部の極端な立場を持つ人々の支持を集め、参院選の全国区で1議席を獲得する」ことは考えられても、大きな支持を集める可能性は低いと考えられます。

一方で、自民党の中で反ポリティカル・コレクトネスを明言する議員が勢力を拡大する可能性もあるかもしれませんが、たとえばこのような議員が総裁(首相)になることがあれば、トランプ元大統領のケース以上に、穏健な保守派(中道右派層)の離反を招くリスクがあるため、自民党議員・自民党員はそのような選択はしないのではないかと思います。

なお、ウエストランドの漫才については、「あるなしクイズで明らかな誤答を繰り返す」というフォーマットや、「そんなことはない」と繰り返すツッコミの存在などによって、内容を真剣に受け取り過ぎなくて済むことが、受け手に安心感を与えているのではないかと思います(だからこそ、「悪口」を言われた人たちも、ネタで返すことができるのでしょう)。もし、本当に特定の立場に基づいて特定の何かをこき下ろすだけの内容であれば、多くの人は危うくて笑えなかったのではないでしょうか。

なお、お笑いについてはまったくの専門外のため、後半の部分は皆目見当違いでしたら、ご容赦ください。

2y

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Past comments by 稲増 一憲
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