「印象の違いがあるか」という問いかけは、正に的を射ていると思います。良いか悪いか、違和感があるか、自然に響くか、など様々な印象がありますが、その「印象が異なる」ところに音楽が存在するわけです。

 通常私たちが話す言語は、比較的平坦なので、ピッチと音程が一致した楽曲は、大層つまらないものになります。「ピッチの方向性」は一致させても、音程幅は、大幅に大きくしないと、音楽にはなりません。では、どの位音程幅を大きくすれば「名曲」になるのか、そこが作曲家の腕の見せ所です。そして、それによってどんな印象を与えられるかが、勝負どころです。更にピッチの方向性を、話す言葉とは逆にしてみたら、もっと大きなインパクトを与えられるかも知れない、そう考えて、敢えて逆にすることもしばしばあります。言い換えれば、言語的思考から、音楽的思考に切り替わる瞬間であり、朗読から音楽(歌)に変換される時でもあります。

 そもそも、言語は一様ではなく、共通語と関西弁はほとんどが逆ですし、それぞれの地域によって差が有ります。共通語は、色々な言語が混ざっていると、お互いに通じない部分が出てくるので、コミュニケーションを円滑にするために作られたもので、それが正しくて関西弁は間違いではありません。ただ両者を比べて見ると「印象に差が有る」ということだと思います。そして、今、作曲を試みるとすれば「どちらの印象」を与えた楽曲にしたいかによって選択され、その抑揚を大きくして行くことになるわけです。

 アクセントに関しても同様で、言語と一致させるかさせないか、それによって表現が変わり、印象も大きく変わる、そこに音楽が生まれるのです。

 この質問の答です。「日本語の歌詞において、単語のピッチアクセントと音程が一致した場合と一致しない場合とで印象の違いが」確実に有ります。それこそが音楽的営為と言っても過言ではないくらい、大きな大きな違いがあると言えるのではないでしょうか。

2022/12/28Posted
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