ロッチと子羊を拝見し、小川先生のファンになりました。いつも元気をもらっています。

私は幼い頃からどうしても自分の中で折り合いをつけられないことがあります。

それは、真似をされることに対しての嫌悪感です。自分も少なからず誰かに影響を受け、真似をしていることは承知なのですが、わたしのやり方や絵をそのまま真似して満足している人を見ると許せない気持ちになります。

なぜ私が努力してきたことを、いとも簡単にコピーしようとするのか。それで褒められて嬉しいのか。自分が大切にしているものを、その人の承認欲求を満たすための道具にされるのが本当に嫌です。

ですが、SNSだと著作権とかそういうものはもう薄れてきている気もしますし、何でもシェアする時代とか言われると、どうこの気持ちと折り合いをつければよいのかわかりません。

寒い日が続きますので、ご自愛ください。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。今後のご活躍も願っております。

たしかにデジタル技術によってなんでも簡単にコピーできる時代になってきていますよね。だからこそ知的財産権を保護する必要性も高まっていて、実際様々な方策が模索されています。ただ、現状はいたちごっこになっているといわざるを得ません。したがってそこは法律で対応していくしかないわけですが、他方でクリエイターが過剰に苦しむことのないように心の折り合いをつけていく必要もあると思います。法が追いついていない時、過剰に苦しむのは不幸ですから。哲学に知的財産権の侵害を食い止める力がない以上、できるのは被害者の気持ちをほんの少しでも和らげることだけです。そこで私にできるのは、自分自身がこの問題をどうとらえているのかお話しすることだけです。私もクリエイターの端くれなので、考えを発表したり、ものを書いたりしています。もちろんそれを真似する人もいます。とても嫌なことなのですが、100%防止するのは不可能なのですよね。だから真似をされるたび、自分はいいことをしたのだと考えるようにしています。何かを生み出すのは自分のためであり、同時に世のため人のためでもあります。真似されるということは、それだけ自分の考えが世の中の役に立ったということです。決して崇高な考え方に基づいてそんなふうに思っているわけではありません。そう思わないとやってられないからです。ぜひ相談者もそう思って割り切ってみてはいかがでしょうか。真似されるということは、世の中に役立つものを生み出した証拠なのですから。

2 years ago

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Past comments by 小川仁志
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