音韻論と音声学の違いがよく分からないのですが、具体例を用いて教えてください。

 日本語の「シ」をキーボードから打ち込むときに "si" と打つのが音韻論的発想で、"shi" と打つのが音声学的発想です。どちらが正しいか間違いかという問題ではなく、同じ「シ」を表示させるための2つの異なるアプローチだということです(ローマ字の種別としては、前者が訓令式ローマ字、後者がヘボン式ローマ字と呼ばれています)。

 私たちは、日本語「サ」「ス」「セ」「ソ」を発音するときに同一の子音を用いています。しかし、「シ」だけは異なっています。もしここで「サ」「ス」「セ」「ソ」と同じ子音を用いるならば、「シ」ではなく「スィ」の発音となるでしょう。「シ」の子音は、むしろ「シャ」「シュ」「ショ」と共通しているのです。

 このように「シ」の子音は「サ」「ス」「セ」「ソ」の子音と異なるのだ、ということをめざとく(耳ざとく)指摘するのが、音声学者であり音声認識装置です。彼らはこの違いに敏感なので、「シ」は "si" ではなく、音声学的正確さを期しているかのような "shi" などの別の方法で打ち込むことを推奨するかもしれません。

 一方、普通の日本語母語話者は、確かに上記のように改めて説明されてみれば「サ」「ス」「セ」「ソ」と「シ」の子音は異なっていたのかと納得できますが、だからといって「シ」をサ行音の著しい例外という風にはとらえないでしょう。「シ」は多少発音が異なっていても、相変わらず「サ」「ス」「セ」「ソ」の仲間だ、という認識は捨てないだろうと思います。それは、この仲間たちが日本語では常に連動して振る舞っているからです。例えば、「話す」という5段活用の動詞を取り上げましょう。「話サない」「話シます」「話ス」「話スとき」「話セば」「話セ」「話ソう」のように活用するとき、2つめの活用形は「話シます」となり、決して他の活用形と同じ子音を使って「話スィます」とはなりません。

 「音声学」としては、「話スィます」となっていてくれたほうが一貫してスッキリするのですが、日本語の実態としては「話シます」となっているのです。言い換えれば、日本語の「音韻論」としては、「シ」の子音は、本当は少し異なる発音だけれども、「サ」「ス」「セ」「ソ」の子音と事実上同じものであるとみなしておこう、という扱いになっているということです。音声学的には少々異なるけれども、日本語の都合としては同じものとしてまとめておいたほうが実際的にも理論的にも何かと便利だから、同じものと認めておこう。これが音韻論の発想です。

 音韻論者、そして日常的に音韻論的発想で生きている普通の日本語母語話者の多くは、「シ」を表示させるために、3打必要な "shi" よりも、2打ですむ "si" を好むでしょう。日本語の特性を考慮した省エネの打ち方であり便利だからです。(個人の癖にもよりますね。ちなみに、私自身は9割方 "si" で打っていますが、たまに "shi" と打っているのに気づくことがあります。9割方音韻論者風ということです。)

 以上をまとめましょう。音声学の扱う音は、音声認識装置が機械的に判断する音といってよく、特定の言語を考慮せずユニバーサルに記述されます。「シ」は "si" ではなく、あくまで "shi" と打ちたい、という立場です。

 一方、音韻論の扱う音は、日本語なら日本語といった特定の言語において最適化された音のグルーピングを前提とします。「シ」はサ行の仲間だから "shi" ではなく "si" と打ちたい、という立場です。日本語母語話者に寄り添った記述ですね。

 同じ日本語の「シ」でも、眺める立場によって扱いが異なるのです。同じ言語音を扱う分野でも、音韻論と音声学では、音に対する世界観が180度異なっていることが分かるのではないでしょうか。なお、発音記号を用いるとき、 /sa/ のようにスラッシュで囲むのが音韻論式で、[sa] のように角カッコで囲むのが音声学式です。中身は同じように見えても、カッコの種類によって世界観が転覆する仕組みなのでご注意を。

 音韻論と音声学の違いについては、参考までに筆者の hellog~英語史ブログ より こちらの記事 も合わせてご覧ください。

 (ちなみに、上記の「シ」の打ち方は、説明のための比喩です。音声学者であっても "si" と打つ方が多いのではないかと想像されます。尋ねてみたいところです。)

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