音韻論と音声学の違いがよく分からないのですが、具体例を用いて教えてください。
回答(2件)
- 福島真人
- 学者
東京大学大学院・情報学環教授。専門は科学技術社会学(STS)。80年代は東南アジアの政治・宗教に関する人類学的研究に従事。その後は現代的制度(医療、原子力その他)において認知、組織、学習の関係を研究する。現在は科学技術の現場とそれを取り巻く社会の諸要素との関係(政治、経済、文化等)とのかかわりから研究している。また科学技術と、現代アート、デザイン等の相互関係にも興味がある。主要著書に、『身体の構築...2
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- ドイツ語やフランス語は「女性名詞」と「男性名詞」という分類がありますが、どのような理屈で性が決まっているのでしょうか?ドイツ語やフランス語は「女性名詞」と「男性名詞」という分類がありますが、どのような理屈で性が決まっているのでしょうか? 理屈はないといってよいです。私は、文法的な性とは一種のフェチであると考えています。もう少し正確にいえば、言語における文法性とは人間の分類フェティシズムが言語上に表わされた1形態である、ということです。 私もドイツ語やフランス語を学んでいますので、今回の質問の意図はとてもよくわかります。私自身は文法性のない英語とその歴史を専門としているのですが、実は千年ほど前の古英語もゲルマン語派の仲間であるドイツ語と同様に、名詞に「男性」「女性」「中性」といった区別が存在していました。英語の場合、幸い、後の時代に文法性は消失しましたが。 ドイツ語やフランス語では、「男性名詞」には男性を表す語が多く含まれ、「女性名詞」には女性を表す語が多く含まれていることは確かです。実際、古英語でも似たような状況がありました。しかし、この傾向に当てはまらない語も多いからこそ、問題になるのですよね。 例えば、「太陽」はドイツ語では女性名詞 Sonne ですが、フランス語では男性名詞 soleil です。「月」は、逆にドイツ語では男性名詞 Mund ですが、フランス語では女性名詞 lune です。ナゼ?と問いたくなります。しかし、それぞれの母語話者に尋ねたところで、完全に満足のいく答えは返ってきません。基本的には意味論的な理屈はないということです。(ただし、特定の語尾をとる名詞は男性名詞であるとか女性名詞であるとか、形態論的に説明できることはしばしばあります。ですが、それ自体がナゼ?というさらなる疑問を生みます。) ドイツ語、フランス語、古英語をはじめとする印欧諸語の研究では、伝統的に名詞を2、3のグループに区分して、それぞれを「男性名詞」「女性名詞」「中性名詞」などと呼ぶのが習わしでした。しかし、この区分のラベルに含まれている「性」という概念・用語こそが、この現象の理解を妨げているのではないかと、私は考えています。この際、「性」に基づくラベルはきっぱりとやめてしまい、「グループAの名詞」「グループBの名詞」「グループCの名詞」とか、「甲」「乙」「丙」とか、「1」「2」「3」などの無機質なラベルを貼りつけておくほうが、かえって混乱が少ないのではないかと考えています。「男性」や「女性」などとラベルと貼ってしまったのが、混乱の元のように思われます。 人間には物事を分類したがる習性があります。しかし、その分類の仕方については個人ごとに異なりますし、典型的には集団ごとに、とりわけ言語共同体ごとに異なるものです。それぞれの分類の原理はその個人や集団が抱いていた人生観、世界観、宗教観などに基づくものと推測されますが、そのような当初の原理を現在になってから完全に復元することは不可能です。現在にまで文法性が受け継がれてきたとしても、かつての分類原理それ自体はすでに忘れ去られており、あくまで形骸化した形で、この語は男性名詞、あの語は女性名詞といった文法的な決まりとして存続しているにすぎなということです。 したがって、「今となっては」その分類に明確な理屈を認めることはできないってよいと思います。文法性とは一種の分類フェティシズムの帰結、すなわちその言語集団がもっていた物の見方のクセの現われ、くらいに理解しておくのが妥当ではないでしょうか。補足的に、私の書いた別の記事「#4039. 言語における性とはフェチである」もご一読ください。
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- 日本語ならSOV型、英語ならSVO型、アラビア語ならVSO型、など言語によって語順が異なりますが、これはどのような原因から生じる違いなのでしょうか?日本語ならSOV型、英語ならSVO型、アラビア語ならVSO型、など言語によって語順が異なりますが、これはどのような原因から生じる違いなのでしょうか? 「原因」はわかりません(私も知りたいです)が,類型論的,歴史的にみるとヒントはあります. 世界の諸言語の基本語順を眺めてみると,(様々な統計がありますが)日本語型の SOV が48%,英語型の SVO が41%,ウェールズ語型の VSO が8%,その他の型が3%となっています.意外と日本語型の SOV が最も多いのですね. 論理的には S, V, O の組み合わせとして6種類が可能であるなかで,トップ2の SOV と SVO だけで9割弱を占めるということは,言語の認知プロセス上「何か」があるということを示唆するように思われます.しかし,他の4種類のマイナーな語順が妨げられるわけではない,ということもまた非常に示唆的です. 地理的な分布や言語グループによる分布を見てみますと,特定の語順が,ある地域や語族に偏って分布しているということもあるにはあるのですが,周囲の言語と異なる語順がポツンと孤立して存在している場合もあり,なかなか一般的な傾向を述べることはできません. さらにおもしろいのは歴史的に見た場合です.英語は現在でこそ SVO 語順をもつ典型的な言語ですが,千年ほど前の古英語の時代には語順は現在よりもずっと自由で,当時より SVO もありましたが,同じくらいの頻度で SOV もありましたし,その他のすべての語順も可能でした.しかも,さらに遡ったゲルマン語の時代には,日本語と同じ SOV が基本語順だったと考えられています. つまり,言語においては,時間とともに基本語順,あるいは語順の自由度が変わり得るということです.これは驚きの事実ではないでしょうか. ご質問は「日本語ならSOV型,英語ならSVO型」などである原因は何か,ということでしたが,現在においてそのような分布になっているということにすぎず,考慮する時代を変えれば事情も異なり得るということが分かったかと思います.むしろ,歴史的に語順が変わってきた言語を念頭に,なぜ変わったのか,なぜ変わる必要があったのか,と問うてみると,議論はもっとエキサイティングになってくると思います. 参考までに筆者の hellog~英語史ブログ より こちらの記事 も合わせてご覧ください。
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- 言語が文化を作るのでしょうか?それとも文化が言語を作るのでしょうか?ご質問は、言語学や言語哲学の分野の最大の問題の1つですね。「サピア=ウォーフの仮説」や「言語相対論」などと呼ばれ、長らく議論されてきたテーマですが、いまだに明確な答えは出ていません。 「強い」言語相対論は、言語が思考(さらには文化)を規定すると主張します。言語がアッパーハンドを握っているという考え方ですね。一方、「弱い」言語相対論は、言語は思考(さらには文化)を反映するにすぎないと主張します。文化がアッパーハンドを握っているという考え方です。両者はガチンコで対立しており、今のところ、個々人の捉え方次第であるというレベルの回答にとどまっているように思われます。 「言語が文化を作るのか、文化が言語を作るのか」というご質問の前提には、時間的・因果的に一方が先で、他方が後だという発想があるように思われます。しかし、実はここには時間的・因果的な順序というものはないのではないかと、私は考えています。 よく「言語は文化の一部である」と言われますね。まったくその通りだと思っています。数学でいえば「偶数は整数の一部である」というのと同じようなものではないでしょうか。「偶数が整数を作るのか、整数が偶数を作るのか」という問いは、何とも答えにくいものです。時間的・因果的に、順序としてはどちらが先で、どちらが後なのか、と問うても答えは出ないように思われます。偶数がなければ整数もあり得ないですし、逆に整数がなければ偶数もあり得ません。 言語と文化の関係も、これと同じように部分と全体の関係なのではないかと考えています。一方が先で、他方が後ととらえられればスッキリするのに、という気持ちは分かるのですが、どうやら言語と文化はそのような関係にはないのではないか。それが、目下の私の考えです。 煮え切らない回答ではありますが、こんなところでいかがでしょうか。 この問題についてより詳しくは、私の hellog~英語史ブログよりこちらの記事セットをご覧ください。
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