いい質問ですね!
まず先にお答えしますが、ご質問の問題を真面目に考えたいならこの本を強くおすすめします。
質問者さんが悩んでいることがたくさん出てきて、大いに楽しめることでしょう。
『デモクラシーの論じ方: 論争の政治』
さて、私の方は勝手に上記の本を念頭におきつつお答えしますね。
何をどういった所で、「結局最後のは最大多数の最大幸福が優先される」というのが、今現在の社会の仕組みだと思います。
さてさて。引用されているベンサムの言葉がどれだけ現代に影響を与えているかはよくよく考えねばいけません。私自身はベンサムが現代にどれだけ影響を与えたかを考えると、質問者さんが考えているよりは少ない影響だろうと考えています。
「最大多数の最大幸福」という概念は結局のところ、
「そのケースごとに互いに譲り合う、そのために最終的には多数決で決める。かといって少数派をまったく無視したり切り捨てるのではなく、相応の補償や補填は行う。」
という運用なのでしょうか。
こういうお話の時は歴史が重要になります。
誰が考えたり、公言した考え方は「それを言った理由」まで知らないと言葉の意味がわかりません。
たとえば昔のロシアの王様のピョートル1世は「人は髭を剃るべきだ」と考えて髭税を取りました。
-彼の反対する多くの人が髭を大事にしたからです-
福沢諭吉は「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」と言いました。
-それまで貴族と平民という身分の上下があったからです-
では、ベンサムは何を考えて「最大多数の最大幸福」と言い出したのでしょう。
少し難しいですが、「すべての人の幸福を目指すという発想が当時少なかったから」あたりでしょうか。
このベンサムの背景を考えてみると、質問者さんのバランスを重視する姿勢はベンサムとも相性がいいかもしれませんね。
とはいえ、ベンサムが言い出した時代と今は違います。
-ピョートル1世と福沢諭吉の時代と今が違うように-
ベンサムの限界はどこにあり、どのように「現代と合っていないか」と言われば……
前掲書を読んでほしいという以上の意見が出ませんね。
前掲書は「デモクラシー」について考えた本です。
いわゆる民主主義が二つの側面を持つという指摘をしている本です。
すなわち多数派が多数決で議会を動かす側面と、少数派が現状を打破するために抗議活動を-時には革命を-することがデモクラシーであるという。
この問題だけで190ページも触れてくれている本です。
この本を読んだうえで「最大多数の最大幸福」をどう扱うか、質問者さんがどう考えるのかが興味深いですかね。