そもそも「温度」というのは何かというのを考え始めると難しい問題に行き着きます。一応10年近くこの問題に関連する問題を考えてきた一研究者として、非平衡系における「温度」について個人的な見解を述べます。
まず「温度」ですが、素朴な測定可能量だと思うと、どう測定しているかで複数の定義があることに気が付きます。
一つ目は平衡熱力学もしくは平衡統計力学に立脚した「温度」で、例えば状態方程式pV=nRTや、黒体放射のスペクトルI(ν, T)、各状態xの実現確率p(x,T)を、温度Tの平衡状態にあるとみなせる系において測ることで、測定結果をフィッティングするフィッティングパラメータTから「温度」を推定する方法です。ただしこの測定手法は、対象の系が平衡状態にない場合、フィッティングパラメータTとしての「温度」の正当性は失われます。これが非平衡では「温度」が定義できない、という主張の素朴な意味です。例えば、この「温度」が非平衡で"まともでない"ことがわかる良い例として、「負の温度」という考え方があります。これは平衡状態にいない系に対しては、エネルギーの低い状態の方がエネルギーの高い状態よりも確率的に起きにくい状況が可能であり、その時フィッティングパラメータTとしての「温度」は負の値をとるという現象です。
二つ目は、その系の物理量がどれくらいのダイナミクスで拡散しているか、というダイナミクスの変化の大きさを用いて「温度」を測ります。もしくはその系と接触した測定系の物理量が、どれくらい擾乱されるかという大きさとみなすことで、間接的にダイナミクスの拡散具合を測ることもあるでしょう。実は、素朴な体温計などで測っている「温度」は、接触した系からの擾乱具合を熱膨張などを用いて測っているので、実は普段の自然言語で喋っている時の「温度」はこちらの「温度」であることに気づきます。また体感温度も、人間の皮膚が外気によって擾乱された結果として感じるものなので、この「温度」になります。実際、非平衡な温度勾配がある系は日常でありふれていますが、「温度」を擾乱の度合いとみなすのであれば、ローカルにその地点での擾乱具合、拡散具合を見れば良いので定義が可能です。このような温度勾配がある系の経験的な物理法則としてフーリエの法則なども知られていて、理論的に取り扱えないものでは決してありません。また十分にマクロな系に対する温度勾配であれば、局所的に見てもマクロなため局所的な系は平衡状態をとみなせる場合があるので、この「温度」が、平衡状態のフィッティングパラメータTである「温度」と局所的には一致する場合もあるかと思います。
ただしこの二つ目の「温度」は、非平衡系においては、ある対象に対して唯一無二のものではない点に注意しなければならないというのが問題点です。というのも考えている物理量のダイナミクスのスケール、擾乱を受ける物理量のダイナミクスのスケールに依存する温度になっているからです。例えば、具体例で語るならばブラウン運動の現象があります。このブラウン運動に対しては、アインシュタインの関係式と呼ばれる拡散の大きさに比例した「温度」、もしくは別の言い方では、ランダムに受けるノイズの力の強度に相当する「温度」が定義できます。しかし、この「温度」は回転する外場などの非保存力による駆動がある非平衡系の場合、位置の拡散具合から推定できる実効的な「温度」は測定するスケールに対して不変ではありません。例えば、極端な例として、分子一個の位置の運動の拡散の度合いを見る場合と、その分子一個が大量に集まった分子集団の重心から定義される分子集団の位置の運動の拡散の度合いは、別のダイナミクスを見ていることになるので当然異なりうるでしょう。むしろ平衡状態ならばスケールに依存せず、フィッティングパラメータTにより「温度」が一意に決まること自体が驚くべきことなのに気が付きます。よって、平衡状態のフィッティングパラメータという確固としたものがない非平衡の場合は、どの物理量のダイナミクスに着目するかによって「温度」は異なります。また「温度」を測る際に、どの物理量のダイナミクスに擾乱を受けたかという温度計の仕組みにも強く依存するでしょう。よってこの「温度」の定義はダイナミクスのスケールに依存し、どのダイナミクスのスケールによる擾乱を見るかという測定手法によって異なるというのが実際のところです。
よくある生物物理の話題として、細胞の中の「温度」はどれくらいかという問題があります。当然細胞は300K程度の外界に接して生きているので、「温度」は300K程度であるべき、というのが直感的に思うことです。しかしながら細胞の内部は非平衡性があり、常に化学ポテンシャル差で駆動され、自身がモーターの役割をするようなアクティブなタンパク質分子などによって常に擾乱されています。なので、あるタンパク質の一分子の運動だけを見て「温度」を素朴に測ろうとすると、高温の熱源によって擾乱されているのとほぼ同じような状況になっていて、4000Kのようなオーダーが異なる測定値になってしまうみたいな話が実際あります。一方で、当然のことながら、僕らが体温を測る時のように、分子集団としての細胞集団の皮膚に対して温度計を当てると、平温の300Kくらいの値が測れます。これはどの物理量が拡散しているか、どの物理量の擾乱によって測るか、が見ているスケールに応じて異なるということです。
しかしながら、このような「温度」が一意に決まらず、見ているスケールによって異なる値を取るとしても、4000Kのような異常な「温度」が何らかのダイナミクスの拡散度合いの大きさを表すのであれば、それは物理的に意味のある量と思うことはできるかと思います。なので、そういうダイナミクスの拡散の指標である二つ目の「温度」を、きちんと着目するスケールまで指定した上で、非平衡系の理論では積極的に使っていけば良いというのが個人的な考えです。