例えばブイヤベースは売り物にならない雑多な魚介を鍋にぶち込んだ漁師料理だったものが、レストランのメニューに採用されて高級化したり、かつて救荒作物だったジャガイモが、主役でこそありませんが各種付け合わせに用いられたり、ということならありますね。

またインド料理や中南米料理がモダンキュイジーヌとして高級化しているみたいなことも一部であります。

しかしそれらは、寿司、天ぷら、鰻などの「立身出世」とはあきらかに違うように見えます。ブイヤベースはオートキュイジーヌ(伝統的な高級料理)の枠組みに取り込まれて高級化した形ですし、モダンインド料理は、(あえて少し悪い言い方をすると)ヨーロッパ的なオートキュイジーヌのフォーマットを模倣してそれに擦り寄ったとも言えます。

寿司などのように、それぞれが単独で研ぎ澄まされていった結果オートキュイジーヌに肩を並べ、ついにはオートキュイジーヌそのものと見做されるようになった、というパターンは他ではちょっと思いつきません。

日本人は、茶道や花道など、日常のどうってことない瑣末事をとことん突き詰めて芸術化する、みたいな「癖」があるように思います。寿司、天ぷら、鰻の進化にも、同様の気質を感じます。

普通、料理の高級化は、要素を加え続けることで複雑で華美な方向に進化することが一般的ですが、日本料理は少し例外的で、むしろ削ぎ落として純化することで高級化を果たすようなところがあります。日本のオートキュイジーヌの代表格である懐石料理からしてがまさにそれであり、そういう価値観や美意識が、寿司や天ぷらにも「〇〇道」的な進化をもたらしたのかもしれませんね。

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