初めまして。最近趣味で英語の歴史を勉強し始めた素人です。

高校生の頃、一般動詞の疑問文と否定文でdoが使われることに疑問を持ち調べてみると、昔は Play you〜?のように言っていたと知りました。そこで私は自分自身を納得させるために、次のように考えました。

①肯定文・疑問文・否定文の中で、疑問文は相手の答えが必要なので性質が異なる。

②疑問文はそれが疑問文であると会話中に気づかれなければならず、そのため肯定文や否定文に埋もれないように語順を変えてリズムに変化をつける。

(先生がYouTubeで仮説として挙げられていて驚くとともに嬉しかったです)

③修飾が複雑な文や長い会話の中で、各文で使われている動詞を主語の前に出すより、doという1単語に限定する方が疑問文であることがはっきりする。

④疑問文だけではなく、否定文もよりはっきりさせるため do not になる。

【③の仮定のもとで質問です】

英語には動詞・名詞の両方で使える単語がありますが、いつ頃からそういったものが現れたのでしょうか。もし Play 主語〜? のような疑問文のままなら、会話の中で Play が動詞か名詞かを瞬間的に判断しなければならず、面倒だろうなぁと学生時代に思っていました。また仮に名詞であれば、前の文との切れ目が曖昧になったり、主語以下が関係代名詞節の可能性があったりと、さらに面倒な気が(素人ながら)していました。

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I. S.

言語の専門家というわけではありませんが、いちおう日英独の三カ国語を使えて言語学も多少齧った身の上ということで、回答してみます。

③修飾が複雑な文や長い会話の中で、各文で使われている動詞を主語の前に出すより、doという1単語に限定する方が疑問文であることがはっきりする。
……
【③の仮定のもとで質問です】

文がどのような構造を持つかを研究する分野を統語論と言いますが、統語論上の主張を、口語の一見分かりやすい特性に基づいて行うのは、あまり実りのある議論にならないと思います。

統語論は文語(書き言葉)を取り扱ったものがほとんどで、口語(話し言葉)についての研究は限られています。また「文法的に正しい文語文」に対して「不完全な口語文」という扱いをされることが多いです。

生きた言語では口語がまず先に確立して文語は後から出てくるものなので、本来は口語こそ「正」で文語は「副」なのですが、研究対象が文語に偏るのには相応の理由があります。

  • 口語は変化しやすく、同時代でも人や地域による差異が大きい。

  • 音声言語に関しては通時的なデータが限られる。

  • 文字の配列だけで記述できる文語と異なり、会話の場面では音に加えて、間やアクセント、対面での会話であれば視線やジェスチャーなども含めてコミュニケーションに使われるが、それらを複合的に取り扱うのが難しい。

  • 発話では言い直しや言い淀み、省略、不明瞭な発音などが多い。

研究では個別の発話について説明するだけでなく、類似の条件下で多くの事例に当てはまるような理論を構築することが求められますが、口語では個々の発話の差やコンテクスト依存が大きすぎて、なかなか一般化するのが難しいわけです。

①肯定文・疑問文・否定文の中で、疑問文は相手の答えが必要なので性質が異なる。

これは「統語論の観点から分類した文の種類(肯定文・疑問文・否定文)と、会話の中での意味や役割に自明な関係がある」ことを前提としています。しかし肯定文、疑問文、否定文という分類は文を統語論の観点から整理するために作られたもので、個別の文の意味や、それに発話者が込めた意図とは必ずしも一致しません。

たとえば次の文を考えてみます。

「ああ、なんで世界はこんなに残酷なんだ?」

形式的には疑問文です。神に対して問いかけているとも解釈できますが、現実に絶望しての独白という可能性もあります。いずれにせよ、発話者は答えが返ってくることは期待していません。形式上は疑問文でも、意味的には「相手の答えが必要」な疑問文でありません。

上司:「専務からプロジェクトを中止するように通達があった」
部下:「そんな、ひどいですよ。これまで3年も掛けて準備してきたじゃないですか!」
上司(*):「きみは専務の顔に泥を塗るつもりか?」
部下:「い、いえ。決して、そんなつもりは……」

上司の二番目の発話(*)は形式的には疑問文ですが、これに部下が「はい」「いいえ」という答えを返すことは期待されていません。仮にこの文を「これ以上は専務の顔に泥を塗ることになるぞ」と肯定文で書き換えても、同じ意味の会話になります。

会話は、常に相手に何かを伝える、あるいは問いかけることの繰り返しです。たとえ肯定文であっても相手に働きかける何らかの意図があり、相手はそれを踏まえて次の発話を行います。その意味では全ての文は「相手の答えが必要」、もしくは必要とは言えないまでも「相手の反応を期待」していると言えるでしょう。

②疑問文はそれが疑問文であると会話中に気づかれなければならず、そのため肯定文や否定文に埋もれないように語順を変えてリズムに変化をつける。

言語によって(統語論上の)疑問文の作り方はいくつかあります。

ご存知のように日本語では、肯定/否定いずれかの回答を期待する疑問文は、肯定文に「か?」を付加して作り、発話の際には語尾を上げます。英語と異なり語順は変わりません。

肯定文「その道路は通行止めです」
疑問文「その道路は通行止めですか?」

さらに口語だと

肯定文「その道路は通行止め」
疑問文「その道路は通行止め?」

で肯定文と疑問文を使い分けることも可能です。こうなると語順が変わらないどころか、音素は完全に一致していて、発話時に文末が上がるかどうかの差しかありません。

また現実には、会話の中から文を一つだけ切り出して聞き取って「肯定文」「疑問文」かを判断することは、まずありません。

A:「今日は実験の準備しないといけないから、少し早く出るね」
B:「自転車で行くの? 国道15号は迂回しないとだめだよ」
A(*):「えーっ、もしかして今朝は国道15号は通行止め(テレビの音が被って聞き取れず)」
B:「昼まで一方通行だってさ」

たとえ語尾が明確に発話されていなくても、A(*)の発話が事実を述べた肯定文なのか、それとも相手に質問しているのかは明確です。

ところで、この②の言明では、暗黙の内に「口語では文語と比べて、より多くの文法上のシグナル(語順の違いなど)が必要である」という仮定がなされていますが、これは誤りでしょう。実際には会話では共有されるコンテクストや仕草、声の強弱、音の上げ下げなど様々なシグナルを使って相手に意図を伝えられるため、文法上のシグナルに頼る度合いは少ないです。

(文章は不特定多数に向けて書かれることも多いのに対して、会話は家族間など、すでに多くの背景情報を共有している間でなされることが多いため、明示的に文に織り込まなくても伝わることが多いです)

試しに会話を録音して書き起こしてみると分かります。会話では文法的に間違った言い回しや、重複や省略などが頻出しますが、それでも現実の意思疎通には支障がありません。ただし会話を一字一句違わずに書き起こすと読むに耐えない文章になりますし、その会話に無関係な第三者が読むと意味が分からないケースも多いです。

③修飾が複雑な文や長い会話の中で、各文で使われている動詞を主語の前に出すより、doという1単語に限定する方が疑問文であることがはっきりする。

英語で疑問文を作る場合、先頭に do(does) がくるのはご存知のとおりです。しかし be 動詞や助動詞 (should, can など) が使われている場合は、do(does) が現れず、be 動詞や助動詞が先頭に来ます。

先に述べたように日本語で疑問文を作るには「か?」を文末につけますし、ドイツ語では動詞(助動詞)が先頭に来ます。

肯定文:Er wohnt in Zürich. (彼はチューリッヒに住んでいる)
疑問文: Wohnt er in Zürich? (彼はチューリッヒに住んでいますか?)

もしくは英語の付加疑問文のように、肯定文の最後に短い語をつけて「〜よね?」というニュアンスで疑問文にすることもできます。

疑問文(2):Er wohnt in Zürich, oder? (彼はチューリッヒに住んでいる、よね?)

さて、英語で be 動詞を使った疑問文や、日本語、ドイツ語では「疑問文であることがはっきり」せず、意思疎通に支障を来すことがあるでしょうか? 逆に英語では do(does) が文頭にくることで「疑問文であることがはっきり」するために、意思疎通が容易でしょうか?

実際のところ、日本語、英語、ドイツ語いずれでも、意思疎通の容易さは大差ありません。英語でも、話の流れに沿わない形で突然質問をすると「what?」と聞き返されることになりますし、日本語でも「ちょっと聞きたいんだけど」とか「そういえば」などと一言挟むことで、相手の注意を惹きつけて確実に質問を伝えることが可能になります。話の流れによっては、無言でほんの少し間を開けるだけでも良いです。

おそらく口語を分析する場合、書き起こしに残る部分だけでは不十分で、文字にすると抜け落ちてしまう部分にこそ意思疎通の鍵があるのではないかと思います。

参考文献

人間の脳が会話をどのように処理して理解しているのかについては、「言語はこうして生まれる」が説得力のあるモデルを提示しています。要約すると、人間の脳は同時に処理できる情報量が限られているため文章全体を見てから構文解析を行うことは不可能で、数個の単語を聞いた時点で「チャンク」にまとめ、また「チャンク」が集まると上位の「チャンク」にまとめるという形で処理を進めると主張しています。この部分に限らず一冊まるごと面白いので、一読することをおすすめします。

英語はビジネス・学問の世界で広く使われているため「標準的な言語だ」と思われていますが、言語的にはむしろ特殊だと言われています。特に言語そのものを論じる場合、英語だけを見て考えていると「たまたま英語という特殊な言語でのみ成立する」事例を普遍的な真理だと誤解する可能性があります。「世界の言語と日本語 言語類型論から見た日本語」は、異なる複数の言語で普遍的に見られる構造・特徴を解説し、その上で日本語や英語がどのような特徴を持つかを記述しています。言語学における問題の立て方や研究の方向性を理解するという観点でも、おすすめしておきます。

また英語以外の言語も身につけておくと、英語だけの特殊事情なのか、普遍的な事なのかの判断がしやすくなります。

もし言語学を体系的に学んだことがなければ、何か適当な入門書を一冊読むと良いと思います。読んで眠くなりそうなら、まずは日本語文法(国語で習う日本語話者向け文法ではなく、非日本語話者に日本語を教える際に使う文法)について解説した本(「日本人のための日本語文法入門 」など)を読み、それから言語学に進むのもおすすめです。学校文法は歴史的事情や古文学習の準備という意味合いもあり必ずしも最近の言語学の知見が反映されていませんが、日本語文法は言語学の成果が取り込まれているので、言語学入門の足がかりとして使えます。

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