作家の高橋源一郎さんに教えていただいたのですが、田中康夫『なんとなく、クリスタル』(1980年)の最後には出生率と高齢化率のデータが掲載されています。合計特殊出生率は70年代には2を割り込んでいましたから、80年代には将来の人口減は予想ではなく“予定”として捉えられていたことでしょう。
なぜ対策を打てなかったかについては、検証の可否はともかく、かなり多岐に渡って論じることができます。回答者の立場から大切と思われる議論を示すとすれば、政界・官界における科学的な思考の欠如、所管を超えた幅広い取り組み(あるいはアイデア)の不足、その背景にある一般の人々との距離、特に性齢の面での多様性の欠如などが挙げられます。残念ながら、これらは現在でもあまり変わりません。
少子化の要因は、未婚率の上昇、晩婚化、夫婦1組あたりの子供の数の減少などに分けることができますが、これらの背景にはさらにさまざまな要因があるため、一見複雑で解決が困難な問題に見えると思います。簡単な解はないわけです。ただ、個別に見ていけば繋がりそうな対策を打つことはできるはずです。
たとえば、大学進学率の向上は、就職する年齢を高め、独り立ちする年齢を遅め、初婚年齢を上げるものです。進学自体を政府が止めることはすべきでないですが、特に男性に顕著な進学に際しての地元離れは、同時にそれまでの人間関係のリセットを生じ、結果として結婚までの道程のやり直しを強いるものです。つまり、大都市圏中心に分布する大学定員を改めれば、一部の層について初婚年齢を下げる可能性が生じます(そうでなくとも一極集中是正のために大学の地方分散は進めるべきと考えておりますが)。
少子化が複雑であれば、ただカネを配るだけのような単純で大規模で効果不明の「劇薬」よりも、その要因を細かく分解して個別対策を積み重ねていくことが必要なはずです。ただそうなると厚労省単独で推進できるものではなく、他の省庁の所管分野での対策が必要になってきますが、そうした全体的な取り組みをリードするための人材、組織、何より発想が政界にも官界にもあまりなさそうです。
そうした全般的な、あるいは細かい発想が出てきにくい、出産と育児を阻害する多様な要因に気が付きにくい、あるいは少子化を問題として認識しにくいのは、政策過程に存在し影響力を持つ人間が高齢の男性に限定されていることが基本的な要因と言えるでしょう。先に政界、官界と述べましたが、この点は学界や企業なども同様です。
こうした高齢男性は、たとえばPTA活動の面倒くささや、学童の必要性や自治体間の差異など、子育て世代の常識に疎いことが多いのは言うまでもありません。いまだに謎飲み会を急に設定して若い世代に強要する類の人々はいますよね。
「小1の壁」のような言葉が最近になって普及していますが、共働きが多くなり始めた時点で家庭と仕事の両立の問題は指摘されており、これを女性の離職で「解決」した日本的福祉国家、M字カーブの話は幾度となくされてきたものです。それでもなかなか解決の機運が高まらなかったのは、政界や官界の当事者意識が希薄だったからでしょう。
そうだとすれば、少子化の現状を改善し続けていくためには、政界等に多様な意見が反映されるようなさまざまな施策も必要となるでしょう。すると、選挙制度改革など大規模な改革が必要そうに思えますが、与野党で取り決めて女性候補の割合を一定以上に挙げていくような緩やかで速やかな改革も可能なはずです。先に「残念ながら」と述べましたが、結局は与野党ともそうした自らの歪み、一般からの乖離にいまだ鈍感で、改善の必要性を感じていないわけです。その結果として、人口減少を促進させているようにすら見えます。
少子化は問題ではないと考える向きもありますが、少子化を生み出す構造は人々の生活と人生にまつわる不幸や不都合で溢れています。それらは政策的に緩和、解消できるものも多くあり、そうした問題を解決に導くことは政治が期待される役割でもあるはずです。今のところ、岸田政権の少子化対策の諸政策は予算規模のわりに、少子化に歯止めをかけるような効果はあまりなさそうだと見ていますが、少子化対策の必要性を訴えて政界の中に争点を置いた点は評価したいです。そうした動きが無ければ、効果的な対策も出てきませんから。