最も大きなポイントは、取材予算が潤沢かどうかだと思います。

昭和時代は、雑誌ジャーナリズムの全盛期でした。新聞が扱わないようなアングラな分野の記事、テレビが扱えないような芸能界のゴシップなどを積極的に拾いに行きました。

新潮社が1980年代に写真週刊誌「フォーカス」を創刊した際、渋る役員陣にたいして、新潮社の「天皇」とまで言われていた専務斎藤十一が「お前ら、人殺しのツラを見たくないのか」と一喝した話は有名です。こういう野次馬根性ともゲスとも言える好奇心が雑誌ジャーナリズムの真骨頂で、人々の「知りたい欲望」をかき立てたのです。

だから部数も非常に大きかった。少し前に休刊してしまった週刊朝日は1950年代には150万部もありました。週刊文春も週刊新潮も、100万部近い部数があった時代があったのです。

この巨大部数とそこから得られる利益をもとに、週刊誌は潤沢な取材費を惜しみなく投入していました。わたしが新聞の事件記者だったころに漏れ聞いた話ですが、ある著名な週刊誌は銀座のクラブのママや祇園の芸妓といった人たちに年間数百万円を無償で支払い、「何か面白い話を知ったらでいいので連絡して」とお願いしていたとか。某警察署の公安警察官にもそういうお金がわたっていたという話もあります。

ここまで豊富な取材費があれば、何でもできますね。莫大な販売部数に支えられていたので、大手クライアントの広告にさほど依存してなかったということも不偏不党のジャーナリズムを実現できていた理由のひとつでしょう。

しかし21世紀にインターネットの普及で雑誌は凋落し、部数は激減しました。あの文春でさえも現在は20万部台と全盛期の1/4ぐらいになり、取材費の寄付を求めているほどです。この流れは今後も続き、雑誌ジャーナリズムは遠からず消滅するでしょう。

11か月

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佐々木俊尚さんの過去の回答
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