面白い議論です。この発想を支持する形で回答したいと思います。

 

 東京や三大都市圏へのモノ、コト、ヒトの集中によって、立地企業は地価や人件費などを需要にある程度応じた効果価格で調達しています。その意味で、言及されている「ダイナミックプライシング」は空間的にはある程度実現されているはずです。

 

 それでもなお企業立地が大都市圏に集中しがちなのは、それらのコストよりも利益のほうが大きいからというのが基本的な回答の方向性になりますが、同時にコストを外部に転嫁できるということも大きいです。

 

 たとえば、大都市圏では企業が被雇用者へ支払う賃金は多少大きくなりますが、住居費や交通費、通勤時間の形で被雇用者も大都市立地のコストを(勝手に)支払ってくれています。本来もっと支払わなければならないところを、雇用被雇用の権力関係を利用して転嫁しているわけです。

 

 こうした側面は、人によれば被雇用者が甘受しているのだから別によいという考えもあります。東京に住むというコストを喜んで支払っているのだから、それでいいのではと。

 

 ただ、そうしたコストが別の不都合を生み出すのであれば、社会的には再考すべきでしょう。現代日本の実情に照らせば、東京の大企業に勤める人々の婚姻が遅れ、少子化が進むことの背景のひとつとして、可処分時間の少なさや住宅面積(だけではないですが)の狭さを挙げることは容易です(実証できるかはともかく)。

 

 一般化して言えば、企業の集中的な大都市圏立地のコストを企業だけでなく個人ないし社会が支払っている状況が、現在の日本社会が抱える問題の一部を生み出しているということになります。

 

 かつてであれば「専業主婦」つまり(常勤)雇用されていない女性の存在によって、大都市圏でも郊外の戸建て住宅に人々が住むことにより、(雇用者である父親の可処分時間も犠牲にしつつ)第2子、第3子を育てる「余裕」が大都市圏のサラリー〝マン”にはあったわけです。しかし、共働きが一般化した現代では第1子の保育、通学の日中スケジュールに合わせる都合から大都市圏の被雇用者層は高収入層であっても都内の“高級”集合住宅や狭小戸建てを選択せざるを得なくなっています。だから人々にとっては、第3子どころか第2子、あるいは第1子すらコスト、リスクとなっているわけです。

 

 言い換えると、社会の継続性を犠牲に今現在の企業が利益を得ているということになります。このような状況は、現代の社会が政治を使って修正していかなければならないもののはずです。しかし、そうした問題の構造を今の政治家がきちんと認識しているとは思えず、むしろ今現在の企業利益に従った政治家が三大都市圏の首長には多いようにも思いますね。

 

 政策的には、質問にある固定資産税を用いた方法では不十分でしょう。そうしたコストは一部資産家しか支払わず、大資産家ほどそのコストは割合的に軽くなるでしょう。それよりは、政策的に大都市圏への人口集中を防ぐ手立てを採用しつつ、大都市圏立地企業に相応のコストを支払ってもらうことが重要です。たとえば、残業等に加えて通勤時間に対しても相応の支払いを義務付ける感じですね。

 

 東京の企業の例だと、「有力」大学が東京に集中立地していることにより、地方から安価で優秀なアルバイトや新入社員を仕入れることができる一方、その対価を十分には支払っていません。それらは地方に住まう親の仕送り等を原資にしているにもかかわらずにです。そういう「お得」な面があり続けるかこそ、ますます大都市圏に企業も何もかも集中し続けるでしょうね。われわれの社会を犠牲に。 

4か月

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