高校入試では偏差値50を少々超え、大学入試では偏差値50を少々下回るくらいの公立高校に勤めております。生徒たちを見ていて、「本当はこれが出来れば良さそうだ(が実現は不可能であるし、効果を上げるのも相当難しいだろう)」と思っている内容を挙げます。

①論理的読解力

新井紀子氏の行っている「リーディングスキルテスト」の簡易版を生徒にやらせてみると、同義文判定や推論など「論理」に係る部分、イメージ同定や具体例同定など「内容把握」に係る部分に弱点を抱えています。

言葉には「階層」があり、具体から抽象、抽象の中でも抽象度でそれぞれレベルが分かれています。科学用語はこうした階層が特に整然としていますが、文系用語や日常語にもこうした「抽象語の階層」は厳然と存在します。

こうした階層の理解に混乱があったり、抽象語の内容に該当する具体を指摘出来なかったり該当するかどうか判別が怪しかったりすると、ある種の人には「語彙力の不足」と意識されるような理解不足・表現力不足という状態に陥ります。

文の構造把握にも問題があり、文が複雑になると修飾語に騙されて主語と述語の関係を取れなくなる生徒は多いですし、複文をまともに読み取れない生徒も多いです。

日本国憲法前文の、

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国との対等関係に立たうとする各国の責務であると信じる。

について、「悪文の典型で、主語が3つ出てくる」と驚くべき誤読をした挙句、間違いだらけの改善例を出しているサイトが存在します。

このサイト主は、主語と述語の関係を理解できておらず、複文を読めないということがわかりますが、本校の生徒も同様の弱点を抱えていることが分かっています。おそらくPOPEYE構文で書き換えて、

ボクらは信じてる。普遍的な政治道徳に従ふことは、自国の主権を維持し、他国との対等関係に立たうとする各国の責務だってコトを。いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視しちゃいけないんだ。それが、日本国憲法前文。

とすると読めるでしょうが、複文を全てこのように書き換えた教科書は存在しませんし、英語の関係節は複文の考え方が飲み込めていないと理解できないでしょう。ということは、彼らはおそらく英語の長文も読めないでしょう。

本校の生徒たちは、とりあえず表面上教科書を読むことはできる場合が多いですが、どこまで読めているかというと、こうした「論理」「内容把握」「言葉の階層」「主述の関係や複文」に関する弱点が噴出し、「明確な理解」に至れない(というか、「明確な理解」という現象の存在を感知できていない)場合が非常に多いだろうと言えてしまいます。こうした場合に生徒がすることは、「とりあえず重要と思った単語にアンダーライン」をし、「意味を考えるのをやめて丸暗記する」ということになってしまうでしょう。こうして、「一問一答式は答えられるが、説明しろと言われると何も書けないか教科書の文の丸暗記を書くしかできない」本校生の実態が説明できてしまいます。

この話、クリアできる子は小学校卒業くらいの段階でクリアできていると思いますが、大人になってもさっぱり…という人も世に多いです(先のリンク先の主とか)。しかし、ここをクリアできていなければ、あらゆる学習の習得に問題が生じます。「学問だの専門だの勉強だのが要求する厳密な理解が原理的に出来ない」ということになってしまいますから。

この問題への処方箋は、確立されているとは言い難いですが、中学お受験の国語教育で名のある福嶋隆史氏や出口汪氏のやり方の中に、ヒントがちりばめられているように思います。福嶋氏のやり方を自分の授業に持ち込んで見た国語の教員のいうところでは、「すごく効果がありそうだが、準備が大変過ぎて、一年間全てそれでやることは無理」ということでした。が、小学校段階の論理的読解力のしっかりした学び直しを高校生に行わせるノウハウが確立出来たら、ひょっとしたらスゴイことになるかもしれません。

②公務員の適性検査・SPI非言語分野・中学お受験算数・小学校応用文章題などに共通する数学

①と同じような要素が、算数・数学についてもあり、生徒たちの学習の習得上、足を引っ張っています。数直線やグラフのイメージ、数の大きさと量感の結びつきなんかが希薄な生徒は計算ミスをしても気づきにくいです。わり算・分数・割合・比率・速度など、除算から派生する様々な要素は実は体得が難しく、機械的に操作しているだけだと知らぬ間に破綻をきたしていたりします。集合と論理に関する内容は、大人も間違えたりごまかしたりして誤謬や詭弁の温床になっております。特殊算や文章題は、「高校のやや専門的な数学は必ずしもできなくてもよいが、社会で必要になりうる数学的な感覚は持っていてほしい」というような形でSPIなどで出題され、文系で数学嫌いな学生に絶望を与えかねないものですが、範囲で言えば小学校応用・中学お受験に変わりはありません。

これらは、「これすら分からなかったら、そりゃ高校の数学は分からなくなるだろう」みたいな形で、暗黙の裡に事前に身につけておいてほしいと数学の先生に思われていることを取り出したようなものであり、国語における①と同じようにそこにありながら、しかも①と内容的に重なり合っています。

これらについて、本当に前進できるのであれば、高校最初の半年から1年間くらいの多大な部分をこれに使ってしまっても構わないのでは…と思われるくらい、重要なことに思われますが、何しろ小学校や中学校で一度習って「できなかった」あるいは「理解・感知できなかった」という状態ですから、もう一度そこを掘り下げて…とやると、なかなか生徒にとってキツイことになりそうです。昨今求められている「学習指導要領の漏れのない実施」だの「思考力育成」だのという流れには明らかに反しますから、これをやりたいと言っても許可する校長も教委もないでしょう。かといって半端に提示しても、問題点を意識させる以上の効果はなさそうだということがすでに分かっています(試していますので)。

そういうわけで、私としては、やるならこの二つだが、そもそもその機会をつくることが不可能と思っております。

1年

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Martin Taitさんの過去の回答
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