こんにちは!ADHDとASDカップル、今後のお付き合いどないしよう問題ですね。『結論から言うと、それは本当に情緒的交流なのか?もっと分解して相手を見つめてみるべし』です。
我が家も発達同士の夫婦です。私がバキバキのADHD(診断済み)で旦那がバリバリのASD特性(未診断)です。ほんとにウケるぐらい性格も考え方も間隔も真逆の人間で25年パートナーをやっています。発達同士でカップルや夫婦をやっていると、いんたーねっつの世界ではいろいろ外野に言われたりもしますが(うるせぇぞ!)、実際は発達同士のカップルも夫婦も世の中に山ほどいます。まったく珍しくないです。
発達同士のパートナーシップといえど、仲良く楽しくお互いに寄り添いながら日々を過ごしているカップルもいれば、泥沼化しても離れられない場合もあり、諸事情でお別れに至るパターンもあれば、別居の距離感でうまくいっている夫婦もいます。これは、定型同士のカップルでも、定型と発達のカップルでも同じですね。それぞれの夫婦/カップルの数だけ形があります。
友人でも恋人でも家族でも、自分ではない誰かと共に生きるというのは簡単なことではありません。毎日がお互いが不快にならない落としどころを探る作業の繰り返しで、常にみえない綱引きをしているようなものです。
質問主さんの挙げる例をみていると、彼との違いに悩んでいるというよりも、この落としどころを探る作業に消極的にみえる彼の姿に、共に生きるパートナーとして迷いが生じているように見えます。
ただ、ここで注意が必要なのは「相手にとっての世界の理解の仕方の表出が、自分の思うやり方とは違う場合もある」という事です。
例えば、うちの旦那は本が読めません。LD傾向(未診断)も持っているからです。だから、本の内容は私が全部読んで、それを口頭で共有します。会話の中で共通の疑問が出て来た時も、私がググって読み上げる事で、2人の会話は進みます。
また、私が本やネットなどから得る大量の知識や多数の経験談から結論を導くのに対し、旦那はそういうものは必要とせず、自分の経験と感覚から結論を導きます。
私たちは似てない夫婦だから、生きるやり方がそもそも全く違うんですよね。これは特性の部分です。
でも、同じやり方を取らないからといって、情緒的交流がないわけではありません。違う方法で得た「自分はこう」という感覚を共有し続けることは、常にやり続けています。
お互いの感覚を共有し
お互いの違いを否定せず
お互いにできる範囲で歩み寄りながら
落としどころを探していく
これを、永遠に絶え間なく繰り返すのが人間関係で、これをやらない相手との間はどんどん離れていく(近しい距離では生きられない)のです。私はこの作業こそが、情緒的交流だと思っています。
質問主さんは、彼とこの先もこれができそうですか?
質問主さんだけが綱をコントロールするのではなく、彼も質問主さんのために、その綱引きに付き合ってくれそうですか?
いま、二人の間で発生する、この落としどころを決めるための綱引きが、拙くてもそれはいいのです。綱の引き方だってふたりが全く同じ方法である必要もありません。問題は、これからもずっと、あなたと彼がこの綱引きをやる気があるかどうかです。
いかがですか?焦って結論を出す必要はありません。ゆっくり考えてみてください。
(ただ、性的な事は女性は構造的にも被害側になりやすく、老婆心ながらかなり心配なので、次にやったら記憶に叩き込む勢いで全力乗せてドス声とアッパーかましましょう。ファイト✊)