ご質問ありがとうございます。私はずいぶん長いこと「数学ガール」シリーズという数学物語を書き続けています。最初に刊行された『数学ガール』(いわゆる無印)が刊行されたのが2007年ですから、もう十数年前(!)ということになりますね。現在は他のシリーズも含めれば二十数冊が刊行されています(感謝)。

でも、最初からこんなに長く続くシリーズになるとは思っていなかったし、それどころか最初は本にするつもりもなかったのです。最初は「ミルカさん」というWebページとしてスタートしました。それがたいへん読者さんに好評だったので、Webでいろいろ公開しているうちに本にしようという気持ちになったのでした。その意味で「数学ガール」シリーズを生んでくださったのは応援してくださる読者さんであるといえそうです。深く感謝です。

ありがたいことに2014年度に日本数学会出版賞までいただきました(感謝)。

さて、そもそも「ミルカさん」などの数学物語を書こうと思った最初の動機ですが、ひとことでいうなら私が読みたい物語を書きたいという気持ちからじゃないかと思います。数学的なものを含んだ物語、特に対話的な物語に私は魅力を感じます。

そして数学が登場する場面にはいつも魅力的な女性の存在を感じます。おそらくそれは私自身が育ってきた環境で、数学のそばに女性がいたからだと思います。小学校・中学校を振り返ってみたとき、数学の先生はいつも女性の先生でした。さらに、私には数学が得意な姉がおります。私は高校の積分を姉から教えてもらいましたし、たとえば乱数表の使い方なども教えてもらいました。ですから、数学物語を書くときに魅力的な女性が登場するのはまったく不思議じゃないと感じます。言うまでもありませんが、数学は男性のものなどとはまったく思いませんし、男性・女性を問わず楽しめるのが数学です。

先ほど「私が読みたい物語」という表現を使いました。数学に関わる読み物は私も好きで読みますけれど、自分として「ものたりない」と思う気持ちがありました。それは数学的内容がやさしすぎたり、大ざっぱ過ぎたり、雰囲気だけだったり、逆に高度すぎたりするからです。

ああ、それから数学が物語とうまく噛み合っていないと感じることもありました。つまり、この物語に出てくるものは別に数学でなくてもいいのでは?と感じるということです。数学ならではの魅力が物語と不可分なまでに噛み合っているような物語を読みたいと思い、それを書きたいと思いました。

もちろん、本の著者には著者の考えがありますので、これは他書を非難しているわけではありません。ただ、自分自身が対象読者じゃないなと感じる本は少なくありませんでした。そういう意味で私は「私が読みたい物語」を書きたいと思ったのです。

私自身は数学者ではありませんし、数学科でもありませんけれど、それは実のところあまり気にしたことはありません。というのは、数学物語に限らず、どんな本であっても「自分が理解している内容を理解している範囲で書く」ことしかできないからです。

とはいうものの、いいかげんな話を書きたいわけではないので、いろんな意味でがんばっています。ただし、数学的内容をがんばりすぎて、読者をおいてけぼりにするのはまずいので、何を書き、何を書かないかはとてもよく考えています(考えているつもりです)。

数学の概念やアイディアを読者にわかりやすく伝えるマニュアルは特にありませんけれど、たいせつな原則は《読者のことを考える》と表現できます。私が書いた本を読んでいる読者さんは何を考えて(何を期待して)最初のページを開くだろうか。読み進める中で、どんな疑問を持つだろうか。そして読み終えたときにどんな感想を持ち、どんな気持ちになるだろうか。そういったことを可能な限り想像します。想像しながら、イメージしながらすべての文章を書いていきます。そして読者の気持ちになって何度も読み返します。

私はそのようなやり方で本を書いていますし、それが(少なくとも私にとって)最良の本の書き方であるし、基本的にはそれ以外にないのではないか、とも思っています。

具体的な例をたくさん出すとか、効果的に図版を使うとか、細かいテクニックはたくさんあると思いますけれど、大事なのはテクニックが先にあるのではないということです。《読者のことを考える》という態度で考えた結果「ここでは、こういう書き方をしたらいいのではないか」と判断することが大事なのだと思っています。もちろん、その判断がすべて成功するわけではありませんけれどね。

さらにいうなら《たった一人のあなた》に向けて書くという気持ちも大切です。決して、大勢の顔も見えない誰かに向けて書くのではなく、《あなた》に向けて書こうとすること。世界中の誰とも交換ができない、かけがえのない《あなた》に向かって書こうとする。それが大切だと思っています。すべての言葉の選択を《たった一人のあなた》のために行うのです。なぜなら、読書というのは極めて個人的でプライベートな営みだからです。

著者である私は《たった一人のあなた》へ向けて書く。ていねいに編んだ物語を届ける。そして読者である《あなた》はそれを受け取って読む。そのときにこそ「ああ、これは他ならぬ《わたし》のために書かれた本だ」という気持ちで読むことができるのではないでしょうか。

私は、そんなふうに思っています。ご質問ありがとうございました。

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関係があるかもしれない本や読み物へリンクします。

◆2014年度日本数学会出版賞受賞者のことば

https://www.mathsoc.jp/assets/pdf/publications/tushin/backnumber/1902/2014pubprize.pdf

◆『数学ガールの誕生/理想の数学対話を求めて』(どんなふうに数学ガールを書いたかを話した講演集です)

https://amzn.to/44hQezb

◆『数学ガール/ポアンカレ予想』を書くのにどれだけの時間を掛けてどんな準備をしましたか(本を書く心がけ)

https://mm.hyuki.net/n/nbcb16902f9be?magazine_key=m715a102cda18

◆本を書く心がけ(本を書くための読み物が数十本あります)

https://mm.hyuki.net/m/m715a102cda18

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