ABO式の血液型は,オーストリアの生理学者ラントシュタイナーによって発見され,1901年に発表されます。発表当初の反響がどうだったかはわからないのですが,その後10年20年たつうちに,この血液型が輸血に利用できることがわかっていきます。そして1930年,ラントシュタイナーはノーベル医学・生理学賞を受賞することになります。

当時の研究のインパクトを今から想像することは難しいのですが,おそらく人間の生存率を一気に高める画期的な発見だったに違いありません。

一方で心理学では,人間の気質類型の研究が根強く行われていました。古くは古代ローマ時代から,人間には4つの体液があり,その体液の混合具合で異なる気質が表に現れるというガレノスの四気質説が知られていました。4つの体液は,血液,黒胆汁,黄胆汁,粘液です。それぞれ気質に結び付いており,血液は多血質(明るく活発),黒胆汁は黒胆汁質(落ちこみやすく憂鬱),黄胆汁は黄胆汁質(怒りっぽい),粘液は粘液質(冷静沈着)といったように,4つの「体液」がそれぞれ特徴的な気質に結び付くという話が,20世紀に入っても心理学者たちの基礎的な知識として定着していました(これはこれで歴史があって面白いのですが)。

さて,1930年代,当時の東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大)の心理学者・教育学者であった古川竹二は,上記の2つのアイデアを結びつけました。こんなに古くから体液と気質に関連があるといわれており,最新の科学では4つの血液型があるという。だったら,ABO式の血液型と気質に何か関連があってもおかしくないじゃないか,という結びつけです。これ自体は,研究のアイデアを導き出すとてもよいブレインストーミングです。

その後,古川竹二は独自に調査をしながら,論文を発表します。その論文は現在,pdfで読むことができます。「血液型による気質の研究」です。現在でも心理学の国内雑誌としてはステイタスの高い,心理学研究の第2巻(1927年)に掲載されています。その後,古川は「血液型と気質」(三省堂,1932年)という書籍や「血液型と民族性」(共立社,1932年)と,立て続けに書籍を発表していきます。さらに一般向けの雑誌記事,新聞記事,論文など多くの著作を残しており,1930年代は「血液型と気質ブーム」と言っても良いような流行を生みだします。

古川竹二の研究はとても真面目なもので,調査を行い,傾向を調べ,自分自身の仮説を検証しようと試みています。書籍も当時の最新の研究まで触れられており,真摯に研究に取り組んだ姿勢がうかがえます。ただし,今から考えると調査の方法や手続きその他に問題があるのですけれども,それは致し方ありません。

そして古川竹二は1940年に亡くなり,日本もおそらく血液型どころではなくなっていったのでしょう。このブームは去って行くことになりました。

そこに再度火をともしたのは,作家の能見正比古です。若い頃はテレビ局でコントの台本などを書いていたこともあったらしく,日本の喜劇の歴史が書かれた本の中でも彼の名前を見たことがあります。

なんといっても,最初の著作「血液型でわかる相性」(青春出版社,1971年)が大ベストセラーとなりました。その本の中には,いくつかのヒントが隠されています。最初の方には,もともと能見正比古の姉が血液型と相性の話をしていたところから研究を始めたと書かれています。そしてあとがきに,古川竹二の名前が登場します。能見正比古の姉は東京高等女子師範学校に通っており,古川竹二の影響を受けたようです。

その後,ブームが定期的にやってきて,現在に至ります。もともと日本で生まれたものなのですから,海外で普及していないのは当然ですね。

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