理性的に考えれば、神様がいるはずない、と考えるのは理解できます。聖書に書いてあることは矛盾だらけですし、旧約聖書と新約聖書は対立していますし、様々な宗教の聖典に書いてあるように神がいるとは考えにくいですね。現代の宇宙論や物理学を考えても、宗教の教え伝える神というのは考えにくい。全知全能であって、善意の神がいるとしたらなぜこの世に悪はあるのか、大虐殺を犯した悪人たちが神から罰を受けることなく繁栄したり、新型コロナや様々な治療法のない病気の出現とか、神を前提にすると考えにくい現象は多い。しかも、神を経験に信じている人間の中にも人間性で疑わしい人とか、神を信じてのご利益とかもとくにないことはごく普通です。しかし、理性とはカントが考えたように、認識できないことを考えずにはいられない認識能力だというのは大事な論点かと思います。死後の世界はない、人間が自己意識を持ち、これほど高度な科学技術を獲得できたのも人間の独力によってであって、神の力に依るのではない、と十分考えられます。ただ、古代の人も中世の人も近代の人も、神の存在の問題は合理的な認識の問題ではなくて、人間が救済される形を準備するためのものと捉える人は多かったと思います。理解ができないとしても、神が要請されるし、要請され前提されなければ、人生という物語に意味を付与することはできないと考える人も多いでしょうね。意味や価値や幸福や充足や完成という枠組み、幸福と不幸の均等ならざる分布といった不可解な事柄を神と関連付けて考える人は今でも多いはずです。矛盾が多く出てきて、整合的な理論を作りえないとしても、それでも信じる人は多いでしょうね。本気で信じているかどうか、というとなかなか微妙でしょうが、全く存在しないとか、無神論は歯止めなく破壊的になりかねないので、そう考えるのをためらう人は多いはずです。日本ではあっさり無神論がまかり通りますが、世界的には少数派でしょう。ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』がやはりお勧めですね。