かつやの創業者がかつてインタビューで「かつやは女性客を想定していません」と言い切っていました。確かにかつ丼というメイン商材やその他のメニュー、店構えなどを見ると納得なのですが、実際食べてみると、かつ丼始め豚汁や漬物など、味付けは何もかもが不思議と上品なんですね。一般的なイメージの「働く男の力めし」みたいなものとは明らかに違う。時々、飛び道具的なヤンチャなメニューやデカ盛り的なメニューも登場しますが、それすらも味付けだけで言えばどこか抑制が効いている印象を持っています。

直感的にはコンセプトとのミスマッチすら感じさせるのですが、よくよく考えると、現代における「働く男」は概ねホワイトカラーであり、また、日本全国で味覚の関西化は進行しており、むしろこの路線こそが最適解であったのかもしれません。実際それで、創業者の思惑を超え、女性客もしっかり取り込む結果にもなっています。想定以上の大成功だったのではないでしょうか。

僕はかつやで初めて食べた時、かつてバイトしていた京料理屋さんで、板前さんがパパッと作ってくれていたボリュームたっぷりの賄いを思い出しました。きっとそういう、日本料理的な(つまり関西的な)高級料理も修めた人がレシピ開発を行ったんだろうな、という想像もしました。

それが最初から目指された商品設計だったのか、開発を頼んだ人がたまたまそういう人物だったのかは分かりませんが、結果的には関東の下町の大衆食堂的なものとは全く異なる着地になったのは確かです。

僕自身は、少なくともかつ丼に関しては、その東京の昔ながらの大衆的な醤油醤油した濃い味のものも相当好きです。しかしそれは同時に、「食べなれない味を驚きと共に楽しむ」というエスニック料理的な喜びでもあり、日常的に食べ続けたいものであるかどうかはまた少し別だったりもします。

もちろん質問者さんのような方にとっては、それこそが昔から慣れ親しんだスタンダードな味であり、一生食べ続けたい味なのだろうと思います。そういう方もきっと多くいらっしゃることでしょう。

その典型が東京の昔ながらのお蕎麦屋さんのかつ丼、ということになりますが、全体的に俯瞰すると、それはどちらかと言うと少数派になりつつもある文化です。例えば、新しくできた商業施設のとんかつ屋さんでかつ丼を食べました、そういう時のかつ丼はおそらくかつやのような関西的な味付けである可能性が高い。そういう店は確実に増えていきますが、かつ丼をメニューに置くような昔ながらの蕎麦屋さんはこれからそうそう増えません。

以前「かつ丼研究家」を名乗る方がかつやをけちょんけちょんに貶していて、僕はかなりの違和感を感じたことがあります。味の好みは置いといて、客観的なクオリティに関してそこまで貶すのは流石に無理があるのでは、と感じたのです。しかしよく考えると、それはある種の「保護活動」でもあったのだろうとも思います。

その方が推すのはもちろん、東京の大衆的な老舗のかつ丼です。何かを推すために別のものを落とすという手法の是非はいったん置いといて、そういうものが徐々に衰退していくことを食い止めようとする気持ちはとてもよく分かります。

何より大事なのは、その両方が共存し続ける世界だと思います。なので質問者さんは両方楽しんでください。できれば非かつや的な方に少し重めに肩入れしてほしいというのが希望です。僕もそうします。

8か月

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