そう望む(性別の境を曖昧にしたい)ならそうなるでしょうし、そう望まないならそうならないでしょう。
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「バ美肉」の定義がされていませんので、ここでは「性自認において男性の人が女性型のアバターを使用すること」としてお答えしますね。
なおアバター研究においては単に「現実と異なる外見のアバターを使用する」という定義で使用されていることも付け加えておきます。この定義の場合、女性→女性も「バ美肉」に該当しますが、質問者さんは「性別」を重視していますのでそのように回答します。
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性別の境界があいまいになっているという条件なら、「女性として扱われたい中身が男性のVtuber」が想定できます。ただ意外と具体例は出てきません。これに関してはVtuberというサンプルが少ない事例ではなく、より歴史があるものから考えるのが素直でしょう。
たとえば、歌舞伎は男性が「女形」をすることがあります。これを評して「性別の境界があいまいになるはずだ」と質問者さんはお考えなのでしょうか。
歌舞伎をされているインタビューを見聞きしている限り、あくまで女性を演じている、なんなら「現実の女性と距離を感じる。なぜなら自分が演じるのは理想の、イメージとしての女性で現実の女性と接点を持たない」という意見を聞くこともあります。
この場合、その女形の人が「私は性別の境界があいまいだ」と証言した場合、それは性別の境界があいまいなのか、現実と演技の境界があいまいなのとどちらなのでしょう、あるいはその両方なのでしょうか。
私が知る限り「性別の境界があいまいになった」と公言している人やそれが話題になった人が浮かびません。私の友人に限るなら少数います。ただその性自認が変化したきっかけはVtuberというより、「性転換を扱うマンガを読んだから」と当人も証言していたり、その原因は単独ではなさそうです。また原因が複数あると考えてしまうと「バ美肉をやっていると」という単独の原因については回答が難しくなります。
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性別の境界があいまいになっていない事例に関してはいちいち個人名を挙げなくともよいでしょいう。私が知る限り、世にいうVtuberの大半は「性別の境界」というものが仮にあるとして、Vtuberを始める前と後でさほど変化がないと見ていますし、実際のVtuberの知り合いを思い浮かべてもそうです。
Vtuberになること(これには「バ美肉すること」も一応含みます)で多くの人が証言するのは性別の境界があいまいになることではなく、精神的な安定が失われることです。「Vtuber 引退」で調べれば似た事例はいくらでも見つかるでしょう。こちらの場合は原因が明確です。Vtuberは「Youtubeで配信するバーチャルアバターを使う人」だとします。YouTubeで配信するということはYouTubeチャンネルがありますね? ということはチャンネル登録者数、同時視聴者数、コメント数など、自分の成果を数字で確認することができます。
そして、その人は努力しているのに希望通りに上記の数字が増えない時、「病む」とはよく聞くお話です。こちらは原因が明確で(数字)、結果も明解です(引退)。
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歌舞伎まで挙げたのでもっと広い視点で見てみましょう。質問者さんは「劇の役者は当然のこととして役にはまりこみ、自分と役の境界があいまいになる」と、たとえばそうお考えなのでしょうか。これに関してはユング心理学が「ペルソナ」という言葉を説明する形でたしかに役者が役に没頭し、役から離れがたく”なることもある”ことを指摘しています。しかしその割合はどれほどなのでしょう。もし劇が、歌舞伎が、Vtuberが、みな役者に大きな変化をもたらすなら、そうした「芸」は長続きしないように思います。生存バイアスという言葉の通り、役者が無事でないものは記録に残らず、文化にもなりようがないのです。
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以上を踏まえて、少数の性別の境界があいまいになった人を扱ったことは私自身あります。とはいえ、あくまで稀な事例です。
「バ美肉をやっていると性別の境界があいまいになるというのは本当でしょうか?」と聞かれたなら、私は「そんなことは稀にしか起こらないし、”バ美肉”が原因かもわからない。それを本当だと言うなら、たいていのことは本当になるでしょう。たとえば、スロットをすればアタリが出る。これは本当の話です、というふうに」と回答することでしょう。