まず、小説が世の中に出るときの手続?について少しご説明したいと思います。
作家が一本の作品を書いて、それがすぐに印刷所に回るということは、あり得ません。
原稿は一番に担当編集者の手に渡り、編集者が目を通します。この段階で、たとえばデビューしたての作家の場合などは、「ここは表現が違う」「あそこが駄目」「前の文章と矛盾している」などと、細かくダメ出しをされることになり(これを、アカを入れると言います。赤いペンで書き込むことから来ていますが、実際は鉛筆の場合が多いかも知れません)、それが作家の手元に戻ってきます。新人の場合は、その書き込まれ方の多さにゲンナリする場合もショックを受ける場合も少なくありません。
とにかくそうやって、まず編集者との間でやり取りがあり(一度ですむとは限りません)、その後で今度は校閲の担当者に原稿が回されます。校閲は、担当編集者よりもさらに細かく、文字使いから漢字の統一、場合によっては作品全体の流れに至るまでを見る専門の担当部署です。
ここでまた「アカ」が入った原稿が作家の手元に戻ってくるというわけです。
通常、このような形で一本の作品は編集者や校閲の人たちの目によって「磨き」がかかります。言葉の一つ一つを選び、磨き上げると言っていいでしょう。ですから、ご質問のような例があった場合、読者の方が不思議に思う前に、担当編集者や校閲が疑問に思わなかったのだろうか?という問題に行き当たることもあります。
正直なところ、これには編集・校閲、それぞれの実力や文章に対する愛着、真剣さが関係してきます。ですから、私が他の方の作品を読んでいても、「もっといい校閲に当たればこんな雑な文章にはならなかっただろうに」と感じてしまうことがあります。
もちろん、そのような形で書くのが実作者の流儀であり、こだわりであるという場合もあります。そんな場合は、いくら編集者や校閲からチェックが入ったとしても、「これが自分のやり方だ」と突っぱねることも出来ます。ただ、読者の方にとって読みやすいか、分かりやすいか、ということを意識することも、決して忘れてはならないことだと、私は考えますが。また、手直しが面倒だからと、編集者に丸投げしてしまう作家もいますので、そういう場合は、編集者だってあまり熱心に仕事をしないかも知れませんね。
とにかく人間のやることですので、その場その場で違いが出てくるというわけです。