こんにちは。いつもご愛読ありがとうございます。

プライベートで落ち込むことがあり、思い出さないように(忘れるように、吹っ切ることができるように)仕事に打ち込むという行動について——ですね。

その行動が「良い」とか「悪い」とか決めつけることは私にはもちろんできませんが、思うところをあれこれお話ししてみます。

まず思ったのは「落ち込んでつらいときというのは、つらいものだ」という当たり前のことです。私にもそういう経験はたくさんあります。まったく落ち込まない人はいません。誰しもショックを受けたり、悲しくなったり、がっかりしたり……ともかくそういう状況になることはありますよね。人生はほんとに難しいものです。お察しいたします。

人によっては「落ち込み」に対して真っ向から勝負してねじ伏せるような態度で臨む人もいます。また人によってはあなたのように忙しくしてあまり思い出さないようにする人もいるでしょう。食べたり、買い物をしたり、人に話したり、旅に出たり……さまざまな行動によって解消しようと試みる人もいるでしょう。その対策は人それぞれだと思いますし、落ち込む内容によっても変わるでしょうね。

私がよく思うのは「人間は(自分は)ロボットではない」ということです。ロボットじゃないから、つらいことを何もなかったように過ごすことはできません。人によって度合いは違うでしょうけれど、いつもと違う状況に陥るものです。

いつもと違う状況になっているのだから、その状況を自分がうまく扱えなくてもしょうがない。私はそのように思います。どんな悩みごともスマートにスムーズにサラサラと解決……とならなくてもいいのです。泥臭く、どたばたしたり、ジグザグ進んだり、停滞したり、後戻りしたりと、自分としては「なさけないなあ」という状況になってもしかたがありません。だって、ロボットじゃありませんからね。

そのように、自分に対する厳しさをゆるめてあげることは、落ち込みに対処するために大事なことだと私は思っています。こんなことじゃだめだ!がんばらなきゃ!と奮い立ててもいいですけれど、それが功を奏さなくてもいいのだと思っています。

自分が嵐のまっただなかにいるような状況下で、たとえば仕事で忙しくすることで、自分が思い出したくないことを思い出さないようにするのは立派な一つの方法だと思います。そういう意味では、あなたが「仕事にまずは打ち込んで集中」というのは一法ですね。

ただ——これはあなたに強制するわけではないのですが——その「一つの方法」にこだわり過ぎるのは、ちょっと危険な場合があるとは思います。

「時間」という要素を少し気に掛けるのはいいことです。いましばらくはこの方法でつらさをやりすごそう。思い出すのはつらいし、苦しいから。でもその状況を数日、数ヶ月、数年と続けることがいいかどうか。それはときどき考えてみるのは悪くないと思います。

「時間」という要素はすごく大きなものです。たとえば、子供のころ。悲しいことはたくさんありました。痛い思いもたくさんしました。悩みごともありました。でも、その大半は(すべてではないかもしれませんが)もうどこかに消えていったはずです。時間が経てば人は変化します。気持ちも関心も変わります。大事なものも変化します。そうすると、ある時点で受けたショックやつらさが、別の時点ではその意味合いを変えることが珍しくありません。

(念のために書いておきますが、「どんなつらさも時間が解決する」といいたいわけではありません。しかし、どのような経験も時間で多少なりとも変化するのは確かです)

つらい気持ちや落ち込んだ原因によっては、時間が経てばつらい気持ちがきれいになくなってしまうこともあるでしょう。「どうしてあのとき、あんなことを気にしてたんだろう」という場合もあるかもしれません。あるいはまた、あるときには非常につらかった経験が、あとになってみると千金の価値があったことに気付くこともあります。私はそういう経験がたくさんあります。

忙しさでつらい気持ちを忘れようとすることは良いとも悪いともいえませんが、一つの有益な方法の一つだと思います。ただそれをずっと続けてしまった場合には別の弊害が出てくる危険性がありますので、どこかの段階ではちょっと見直すことも大切かもしれませんね。

私からはそのくらいです。どうぞ心と身体の健康に注意しつつお過ごしください。

ご質問ありがとうございました。

27日前

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結城浩さんの過去の回答
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