友達だから正直に言うべきなのか。友達だから本当のことは言わず「面白い」と言うべきなのか…。
どっちも正しいと思いますが、相手がなにを求めているかより前に、そもそもあなたが「どんな人でありたいか」で決めるのが一番いいと思います。
私は人間関係って相手ではなく、自分自身の有り様が最も重要だと思っています。
たとえば今回の場合、相手を思いやって、本音を言わず「面白いね」「凄いね」と言ったとするじゃないですか。
そういう言動をする自分のことを「優しい嘘をつける大人だな」と思えるなら、いいと思います。
逆に、そういう言動をする自分に対して「その場しのぎの嘘をつく信頼できない奴」だと思ってしまうなら、言うべきではない。
正直に言うか否かも同じように考えてください。
忌憚ない意見を言う自分を「役に立つことを言ってあげたいと考える誠実な人間だ」と思えるならいい。
でも「正論パンチをする嫌な奴だな」と思ってしまうなら、言うべきではない。
相手に合わせるのではなく、「友達の前で、出現して欲しい自分像」をイメージしてください。
優しさは人の数だけあるし、どれが正しいかなんて解りません。
褒めようと思えばどの方向からでも褒めれるし、貶そうと思えばどんな事柄も貶せる。
だから、まず一番大事なのは、あなたが「どんな行動をする自分が好きか」ということです。
だって、考えてもみてください。
相手のことを思いやると言ったって、あなたには友達がどっちがいいと思うか絶対に解るはずがない。
友達はあなたに正直な感想を言って欲しいのか、それとも面白いと嘘をついて欲しいのか。
こんな問いの答え、友人本人にだって解りませんよ。
だって、友達の望みは「本心から面白いと言ってもらいたい」だと思うので。
あなたが考えていることは、両方あなた側の選択肢であって、友達の望みではないわけです。
「面白い」と言うことで友達がどんなに喜んでくれたとしても、そのたびに嫌な自分に会うハメになってしまうと、その人間関係は遅かれ早かれ破綻しちゃうと思います。
他人を嫌うことより、自分にウンザリする方が圧倒的に辛いことです。
にもかかわらず、あなたが自分を殺して、自分の嫌いな自分を友達の前で演じるようになったとします。
嫌な自分が出現し始めると、友達から「会いたい」と連絡が来ても、また漫画を読んでと言われるんじゃないか…と憂鬱になったりします。
友達が不快そうだとビクついて、友達にとって都合のいい自分でいなきゃ…とどんどん嫌な自分を作り上げることで、自分に自信が持てなくなっていく。
ずっと我慢し続けても、たまたにイラッとして「こんなに気を遣ってあげているのに!!」と爆発する時もあるかもしれません。
でも、そうやって爆発するあなたは友達からすると、不快の極みでしょうね。
なぜなら気を遣ってるというのは、あなた側だけの目線であり、友達の望みではないからです。
ただただ、急に被害者意識満載で泣き言をわめく不快なあなたの出来上がりです。
友達は去るだろうし、元々あなたも友人に会うたび憂鬱を感じていたなら追う気力もないでしょう。
残されたのは「人の顔色を伺うばかりで被害者意識満載の最低な自分」です。
そうなると地獄の始まり。
嫌いな他人とは距離をおけば無関係になれますが、嫌いな自分とは離れることが出来ません。
人生全体が不快なものになっていく。
だから、なにか迷った時には、必ず「それをする自分のことを好きだと思えるか?」で決めることをオススメします。
あなたも私も、人というのは誰しも色んな側面を持っている。
弱い部分や、卑怯な部分、優しい部分、聡明な部分、色んな自分がいる。
ズルい部分が1つもない人間などいないし、素敵な部分がない人間もいない。
私はよく友達から「ほんと、自分のこと大好きだよね!」って言われるんですけど、私にも「嫌いな自分」は存在します。
でも、「好きな自分」もいる。
「好きな自分」を召喚出来てる時は、自分のことが好き。
「嫌いな自分」が出て来てしまってる時は、自分のことが大嫌い。
両方の自分を知覚して、できるだけ「好きな自分」を召喚するように心がけています。
なのでね。
召喚しましょう、好きな自分を。
私があなただったら、どんな自分を召喚するかなぁ…。
嘘をつくのは友達のことをバカにする行為だと考えると思います。
私がやられたらむしろ傷つくな…と思うので。
本気の人に対して、本気で接しない自分のことも嫌いだと思うでしょう。
でも同時によく解ってないのに、色々言うのも無責任な感じがして言いたくないとも思います。
じゃあ、仕事でもないのに友達のために勉強するかと言えば、それもやりすぎかなぁ…。
編集者をやってみたい…!とモチベーションが湧いてくればやるかもしれませんが、そうじゃないなら一線は引いておきたい。
「私の好きな自分」なら、まず今抱いてる気持ち全部を正直に友達に伝えますかね。
「大事な友達だから本音を伝えたいけど、自分の意見が役に立つか自信がないし、なにより大事な友達とこれが原因でケンカしたりするのも嫌だ。
だから、面白いと本気で思った時だけ面白いって言う。
そうじゃない時は何も言わない。「読んだよ」だけ言って、黙ってる。
それでもいいなら読ませて欲しい。
その代わり、私が「いいね」って言う時は本気で言ってるんだなって信じて欲しい。
面白いって心から言える日が来るって信じてるし、楽しみだから、今は黙ってる」
って言うかな。
そんな風に友達と話す自分のことは、好きだと思える気がします。
追記:
ちなみにあなた、良い編集者になる素質はあると思うし、友達も良い作家になる可能性があると思います。なにせ素人の描いた作品を、進撃の巨人と比べてるって実は凄いことですよ。
普通は無意識のうちに「レベルの低い世界」の中だけでの評価をしちゃうんですよ。
小学生で100mを16秒で走る子供を「凄く速い」って言っちゃうのと同じです。
世界レベルでは全然速くないし日本記録が取れるレベルでなくても、クラスで一番くらいで人は十分速いなって思ったりする。
大抵の人は無意識に「自分より凄い」程度でも凄いと思ったりする。
でもプロを目指すなら「投稿者にしては上手い」とか「素人にしては面白い」じゃダメですよね。
プロの中に混じって、進撃の巨人と比べられても面白いと思われなければならない。
あなたの友達は、進撃の巨人と自分の漫画が比べられることをまだ想定できてない。
でも、あなたは想定できてる。
そのあなたの視点が、友達の漫画を引き上げることはあり得ると思います。
また、友達の漫画のレベルが低すぎたら、さすがにあなたも進撃の巨人と比べようなんて思えなかったと思います。
つまり、あなたのその「高みと比べる視点」は、友達の漫画が見せてくれているのかと。