全くプラスにはならないと思います。なぜなら店主さんはそんなこととっくに検討済みだろうからです。過去に同じようなアドバイスをされて既にイラッとしている可能性も高い気がします。
世の中にお刺身大好きな人はたくさんいます。いやむしろ、生で食べられるものは全部生で食べたい人は、世の中の多数派なのかもしれません。そのお店は、そういう人々の中でも特にその傾向が強いハードコア刺身ラヴァーのための店ということなのでしょう。
刺身や生ものだけをそれだけでお腹いっぱいになるまで食べ続けてみたい、と考える人々もきっといるんだろうな、と思います。もちろんそれはその気になればどこでも可能ではありますが、なかなか踏ん切りが付くものではない。ついつい「バランス」のようなものを考えてしまうし「そんなことやっちゃっていいんだろうか」という躊躇も生まれるでしょう。
その店は「大丈夫、いいんですよ!」とそんな人の背中を力強く押してあげることで、非日常の体験を提供しているのではないかと想像しました。ディズニーランドが日常的なものを可能な限り排除するのと同じで、その店も余分なものを視界に入れさせないことで、夢の国であり続けようとしているのではないでしょうか。
今回のお店は、結果として質問者さんにとってはノットフォーミーだったということでしょう。間違いなく僕にとってもノットフォーミーですし、お刺身好きであったとしても、さすがにここまでだとややノットフォーミーだと感じる人は少なくないかもしれません。
レビューにおいて、ノットフォーミー部分を減点ポイントに含めたり、それを欠点として記述したりするのは、(倫理感として)避けてほしいと個人的には考えています。もちろんマクロで考えると、さまざまな価値観の人がさまざまな倫理観で勝手に書き散らしたレビューの集積こそが、ビッグデータ的に価値があるとは思います。しかし、書かれた人にとってのミクロの視点で考えると、それはあまりに酷であると僕はどうしても思ってしまうのです。
今回レビューを書かれるとしたら、ノットフォーミーな人々が間違って来訪しないよう、そのポイントをうまく伝えることにはもちろん意義があると思います。
「生もの以外の料理や箸休め的なものはほぼ皆無ですので、ひたすら刺身に溺れたい人には最高のお店だと思います」
みたいな感じですかね。その上で、
「自分はやはりそういうものも少しは無いとつらいので再訪は無いかもしれませんが、ここまでやり切る信念に溢れたこの店には稀有な価値があると思います」
と自分を主語にして所感を述べつつもポジティブに着地する、みたいな。もちろんこの部分はバッサリ省略した方がむしろ分かりやすいですが、こういう無駄な部分にこそ書き手の血が通うということもあるでしょう。
そうすると、
「せめて冷やしトマトでもあれば⭐︎4だったけど、何も無かったからここは⭐︎3.5かな」
と直感的に思ったとしても、実際につけるべき点数はこの場合⭐︎4じゃないと筋が通りませんね。
こういうレビューこそが正しいと主張するつもりもないのですが、できればそうしてあげてください、と個人的にお願いしたいところです。