テレビ番組でのコメンテーターの位置づけというのは、決して「専門知の発信」ではありません。たとえばアベマプライムでは、MCと司会者に加え、コメンテーターとゲストという4者の組み合わせになっています。これは他のワイドショーなどでもよく見る構図です。
ワイドショーでは、このゲストが専門知を発信する人という位置づけ。それに対してコメンテーターは、視聴者の目線で専門知に対して庶民的な反応をする人、という位置づけになっているのではないかと思います。あくまでも「一般視聴者の代弁」というのが、コメンテーターの役割なのです。
そう捉えれば、コメンテーターが無理解やレベルの低い感想、見事にズレた反応に終始するのも、納得できるというものではないでしょうか。それらのおかしな発言は、「レベルの低い一般視聴者なら、そういう反応をするだろう」とテレビ制作者やコメンテーター自身が認識しているからです。
だからこれらのコメンテーターのレベルの低い発言に憤慨しても、あまり意味がありません。わたし個人としてはそれらに腹を立てるのではなく、「まあ一般視聴者ならそういう反応かもしれませんが、いまの専門家の共通認識は全然違うんですよ」と伝える姿勢を保つようにしています。上から目線なのを承知でいえば、彼らを「諭す」ぐらいの気持ちでいるのが正直なところです。
しかしこういう「一般視聴者のレベルの低い(とテレビ制作者やコメンテーターが考えている)反応」がそのまま世論になってしまうのが、いまの日本のワイドショーの恐ろしいところです。とはいえワイドショーは視聴率のとれるコンテンツになっているのは間違いなく、玉川さんが目を三角にして政権批判をしている姿は、そういうのを求める視聴者にとってはまさに古代ローマの「パンとサーカス」のサーカスになっているということなのでしょう。怒りは気持ちの良い娯楽ですから。
これに対して「ワイドショーけしからん」と私たちの側も目を三角にしていても、何も解決しません。また別のサーカスを提供するだけになってしまいます。
問題はワイドショーのレベルが低いことではなく、ワイドショーが世論形成につながり、それが政策決定などに影響を与えてしまっていることです。実際にはワイドショーを見ている人など社会のごく一部で、しかも高齢者に偏っているのが現実です。なので実際の影響力の現実はイメージよりもずっと低いはず。しかし皆が「ワイドショーは影響力がある」と思い込むことで、いわゆる「美人投票」効果が生じてしまっているということなのでしょう。
したがって今後は政治家や官僚、企業のかたがたには「ワイドショーの影響力など幻影でしか無いのだ」という認識をしっかり持っていただいて、影響力を排除する方向に進んでいってほしいと切に願うものです。