明治以前に肉食をすることが少なかった理由はいまいちはっきりしません。

ただ厳密に禁止されていたわけではなく、たとえば猟師は当然肉食していました。

この辺のお話は下記をご覧ください。

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むしろ明治維新以降、肉食が強く推奨されたので人々も肉を食べるようになったというのが素直な文章でしょう。

質問者さんは「肉食解禁」と言っていますが、明治の時代は「肉食の奨励」が文化人を中心に行われました。そもそも公の権力として幕府も肉食を禁止していなかったので、明治の時代に行われましたのはやはり解禁ではなく奨励と言うべきでしょう。

明治の肉食の推奨から逆にどのように肉が嫌がられていたかわかるかもしれません。

肉食推奨の有名人といえば福沢諭吉があがります。

青空文庫 福澤諭吉『肉食之説』

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上記は福沢自身の文章ですが、上記文章に触れた同時代の文章も存在します。

モシあなたヱ牛ハ至極高味でこすネ

こんな清潔なものをなぜいままで喰ハなかったのでごウせう

追々我国も文明開化と号ツてひらけてきやしたから我々までが喰うようになったのハ実にありがたいわけでごス

それを未だに野蛮の弊習と云ツてネひらけねへ奴等が肉食をすりゃア神仏へ手が合わされねへのヤレ穢れるのとわからねへ野暮をいうのハ究理学を弁へねへからのことでげス

そんな夷に福沢の著た肉食の説でも読ませてヘネ

『安愚楽鍋』

ここでいう「ひらける/ひらけていない」の対立は、大雑把に西洋科学や思想を受け入れるかどうかを指しているようです。ひらけねえ奴らの直後に「究理学を弁へねへ」とあります。

究理学は特定の学問を指すというより広く”日本古来の学問でないもの”を指したようですので、現代語訳と単に学問か、「西洋の学問」のような表現になりますね。
『安愚楽鍋』の文章によれば肉食は神仏への罪や穢れの思想から避けられたと考えられているようです。ただこれも何を根拠に考えればいいか難しい所です。

これが西ヨーロッパなら教皇庁の文章をあたればいいのですが、日本で神道・仏教をひとまとめに管轄する施設・組織は存在しません。
仏陀が殺生を禁じたのは多少影響あるでしょうが、日本では仏教は大きく改造され、死後は輪廻転生するという思想もたとえば極楽浄土であるとか、いわゆる「天国」が想定されました。


また、福澤にせよ『安愚楽鍋』にせよ、庶民でも肉食を嫌がったと想定しているのがわかります。明治の廃仏毀釈の際、国家が管理していなかった神を潰し、仏を排除したのは宗教史で有名なお話です。

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ここで重要なのは、

1.仏教のような肉食を嫌っている宗教とは別の宗教が日本各地にあったこと

2.そしてそれが排除されたこと

です。仏教以外の宗教が肉食を避ける理由がいまいちわかっていません。穢れに関しては今でもなかなか明解な答えが出ない問題でもあります。

最終的に、コロッケのような安価な、肉の入った大衆食の流行で肉食は定着します。

逆にいえばそれ以前ですと肉を薬味として食べていたとか、少数の肉食しか伝わっていません。

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以上を踏まえますと最初の質問「肉食を解禁していたらどうなっていたか」ですが、

まず禁止していませんというのが回答です。

その上で幕府がわざわざ「肉食を許す」と公言したとしましょう。

しかしそも明治まで強く推奨されなければ人々は大っぴらに肉食しませんでした。

先ほどのコロッケの頃に肉食が定着したということも考えれば、

単純に肉食が定着するほど肉を当時の日本は供給できなかったと考えられます。

牛は重要な労働力ですし、鶏もシメて肉にするより卵を食べた方が多くのカロリーを供給できます。
ですので単に「解禁」しても史実と同様、薬として少数の肉が流通したり猟師が食べたりする程度ではないでしょうか。このような訳ですから、社会も変化しません。史実と同様です。

6か月

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