あるベテランの自民党議員の方も、回答者の前で同様のことを主張したことを思い出しました。これも含め、記者や学者などの高齢男性の多くが、同様の主張を行っていることを目にします。いちいち反論したりはしませんが。

 さて今回は、真面目にこの問いについて考えてみます。ここでは、小選挙区による政治家小粒化論を政治科学的な問題として捉え、その検証のために何が必要か、あるいは解を導く際に何が障害となっているのかを考察していきます。なお以下では、とりあえず日本の国会議員に限定して議論します。

議論を因果関係で表して問題を把握する

 まず、「小選挙区制が導入されて政治家が小粒になった」という議論を、政治科学的な手続きに則って検証できそうな議論として簡潔に整理し直すと、政治家の「小粒」化という結果を、小選挙区制の導入という要因が生み出したという因果関係を主張するもの、と捉えられます。

 選挙制度について真面目に勉強して考えている人であれば、導入されたのは小選挙区制ではなく小選挙区比例代表並立制だと強く主張するでしょう。あるいは、選挙制度が(大きく)変わったのは衆院のみで参院や地方選は変わっていないといった議論の突破口を見つけ出せる人もいるかもしれません。今回は踏み込みませんが。

 ともかく、小選挙区→政治家小粒化という因果関係が、今回検証すべき問題ということになります。

「小粒」ってどういうこと?――概念を定義する重要性

 もっとも今回の問いでは、この因果関係が成り立つかどうかという本筋よりも前の、「小粒」化とは何かというところが議論の鍵となります。正直に言えば、回答者はこれを明確に定義づけられませんし、この点はおそらく質問者も同じだと思います。きっと元の主張者も同じでしょうが。

 「小」という漢字が入っており、「なった」という変化を表す語が使用されていることから、「小粒」化は量的な概念のはずです。したがって、これを示すデータを入手することができるのなら、先の因果関係を検証することができそうです。しかし、その量的概念の意味内容が把握できないため、検証に供するデータを探すことができません。この量的概念がどういったものか明確化することが、検証のために必要なのです。

 この問題を考えるにあたり、とりあえず「小粒」化が示す内容をその政治家の「体格」としてみましょう。実際のところ、国会議員白書をはじめとして国会議員の身長や体重を公開しているようなウェブサイトやデータベースはないでしょう。適切な指標がないという意味では、今回の問題と同じように思えます。

 しかしそれでも、「体格」という量的概念として「小粒」化の度合いが捉えられるとわかっているので、何とかして、無理やり、何らかのデータを持ってくることは可能です。たとえば、映像を解析して本会議場の調度品との比較を行うなどして多数の議員の体積を試算することは、現代の技術で可能です。医療記録などの部分的なデータを加味すれば全議員の身長や体重をかなり正確に見積もることも可能でしょう。

 一方、政治家の「小粒」化を主張する方々が、その「小粒」が政治家の何を測っているのかについて、具体的に説明したり明確に定義を示したりすることはほとんどないと思います。そういう意味で、政治家小粒化論は検証可能な仮説として主張されてはいないのです。

個人の感想は科学でない

 それでも、政治家小粒化論は一部の人々(高齢男性)によって主張され、多くの人々に流通しているように見受けられます。その人の「偉さ」等に基づいた権威的な主張と、その権威に表向き追従する同意によって、ある種の議論は検証どころか内容がなくても流通してしまうものなのだ、ということなのでしょう。

 明示されていなくても、何となくその「小粒」の内容はわかる、という人もいるかもしれません。言い換えれば「大物」感とでもいいましょうか。。。もちろん、このように「小粒」を「大物」に直したところで、議論は上と同じです。それが何かを定義できなければ検証することのできない問題に変わりはありません。

 ただ、この言い換えで、政治家小粒化論の実態はより理解しやすくなったかもしれません。政治家の「大物」感というのは、結局のところ、観察対象に対する観察者(上記議論の主張者)独自の印象、つまり主観でしかないのです。

 この点が理解できれば、ここまで示した政治科学的な処理が結局無意味だということもわかるでしょう。問題を科学的に処理するということには、一般的、普遍的な傾向、法則を得ることで、他の同様の事象にも適用できるだろうという期待が背後にあります。しかし、「小粒」化が観察者個人の感想に過ぎず、ある種の権威によって聞き手に表面的な納得を催させることが主目的の小話なのだとすれば、当然、それに一般的、普遍的な価値があるわけありません。

 あたりまえですが、語り手が認知度や立場によっていかに「偉大」な人物であったとしても、誰か個人の主観に基づく感想それ自体は科学足りえず、その意味で論ずる価値のない代物です。

無意味な議論であることを証明する因果関係の検討の欠如

 もう少し頑張って、「小粒」、「大物」を定義付けて何かしらの指標を見つけてくることはもちろん可能です。たとえば、「小粒」度を政治家のカネ遣いと捉え、政治活動に供した資金の量でこれを表現したり、「大物」度を対人態度における権威性の発露の度合いと定義して、言葉遣い等を解析して得点を付けたりすれば、何らかの分析はできるでしょう。

 もっとも、資金量は選挙制度よりも同時に導入された政治資金規正の各種強化策から強い影響を受けているでしょうし、政治家の態度変化は世の中一般の人々の態度変化と平行しているでしょう。警察ですら、無駄にエラソーな人間は昔よりも多少減っている時代です(個人の感想です)。

 小選挙区で政治家小粒化論は、制度変更を要因とした時系列方向の変化を主張するものです。仮に科学的な分析を行おうとしても、多種多様な時変要素を考慮して細かく検証していく必要があるものです。しかし、この論の主張者は誰も、偽の相関を生み出しうる他の要因について考慮したうえでそう主張してはいませんよね。そもそも、この種の政治家小粒化論が主観に基づくものだとすれば、立場の変化や老いのような観察者の変化は、因果関係の精査の最大の障害となるはずです。

 そうした事前の論理的な検討で磨かれた仮説ではないのですから、主張者以外にとって政治家小粒化論は論じる価値のないものです。

高齢男性特有の症状への対抗策

 実際のところ、主張者の主観に基づく政治家小粒化論は、その主張者の年齢、立場という時変要素に促されて成立しているものではないかと考えられます。入社数年目のペーペーの記者から見れば当時の有力政治家は「偉かった」でしょうし、会社や業界の重鎮となった立場から見れば現在の有力政治家は対等に話せる「偉くない」存在なのかもしれません。

 巷の政治家小粒化論は、「昔の政治家は~」という語りで成り立つ性質上、高齢者のみが主張する、主張しうるものです。また政界とその周辺の性比から、その高齢者はほぼ男性に限られます。他の様々な「最近の若者は」系の妄言と同様、政治家小粒化論は、生きた年数とか「経験」くらいしか売り物がなくなった高齢男性特有のビョーキと捉えましょう。きっと自分の「偉さ」を再確認したくなるお年頃なんですよ。

 なお、政治家小粒化論に限らず、小選挙区制はスケープゴートにされやすいということは知っておいて損はないでしょう。

 冒頭の元有力政治家の場合、自身が主導した倒閣運動が執行部による公認外し圧力により瓦解したという生身の経験から、そう主張したと「捉える」ことができます。小選挙区=公認権強化、という政治学でよくある議論ですね。でもこれも、その政治家がそう捉えて欲しいからそう主張しているという線に気が付かなければなりません。小選挙区、そして政治家の小粒化を派閥瓦解の要因としておけば、件の政治家自身の人望や組織管理能力の欠如という根本の要因を誤魔化せるわけですから。

 さて、今後似たような主張を聞いたとしても、ここで行ったような真面目な検討は必要ありませんし、小粒なのはお前だよと喧嘩を売る必要もありません。もし小選挙区で政治家小粒化論に出くわしたら、「チャーチルやサッチャーは小物なんですね」とか、「小選挙区制を廃止して衆院全国区を導入しましょう」とでも反応してあげればいいでしょう。こうした反証や矛盾を提示する方法は、学術的な議論に限らず有効です。

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