これに関してはご指摘の「仮説」をまともな本で見たことがないので、検討されていないだろうというのが最初の回答です。

ご質問では「……という説」とありますが、仮説となるには当然それなりの根拠が必要です。ご指摘の情報はその要件を満たしていないので「……という噂」と書くほうが良いでしょう。

以降、中世ヨーロッパ以前のヨーロッパの水事情について覚書をしておきます。

・古代(ローマ)

世界でも稀に見る上水道を完備した時代です。

そも、古代ローマは大浴場が有名です。あれだけ大量の水を扱えることからわかる通り、この時代に水が不足したということは考えにくいです。

ガール水道橋をはじめ、大規模な水関連の施設も広く知られています。

・古代から中世の移行期(大移住ないし大破壊)

教科書的に「ゲルマン人の大移動」と呼称される。時期は4世紀後半。

この時期は言ってしまえば「争いの時代」で、各種インフラが一時的に使用ができなくなった可能性があります。

とはいえ本当に水が入手できなければ生存が困難であり、大きな人口減ということで歴史的事件として注目されたことでしょう。残念ながら私はこの事例を知りません。

同じく、ビールやワインを水代わりに飲んだ場合、アルコールの分解が難しい子供はもちろん、アルコールのみを飲んだ大人の健康被害及びやはり大きな人口減が確認されるはずですが、やはりこうした事例は確認できません。

・いわゆる中世の時代(4世紀-15世紀)

いわゆる中世の時代をして評するのは非常に困難です。

というのも、時代区分が長すぎるためです。

4世紀から15世紀を日本の歴史に当てはめれば、飛鳥時代後半から安土桃山時代の前半を「同時代」と書いていることになります。なので「中世に起こった」とは日本でいう飛鳥、奈良、平安、鎌倉、室町、安土桃山時代のすべてをカバーした「事実」でなければいけません。

ヨーロッパ史に話を戻せば4世紀の大破壊以降、各地で争いは落ち着きはじめます。

カール大帝によるカロリング・ルネサンスは有名ですが、西暦800年前後のフランク王国は「文化の再建」が語られる程度には落ち着いた状態にあり、当然大きな人口減も見当たりません。

またこの時期にすでに反論された近い事例として「中世ヨーロッパの人間は入浴をしなかった(あるいは嫌がった)」というものがあります。

以下、ウィンストンブラック『ヨーロッパ中世』より。

十二世紀までにはヨーロッパの大都市で公共浴場が一般に見られるようになっていた。十二世紀の学者、アレクサンダー・ネッカムは、パリの街路で湯が熱すぎると大声で叫ぶ入浴客について書き記している。十三世紀パリから伝わる記録は、三二の公共浴場を記載している。

すでに書いたように中世は長い時代区分です。12世紀に公共浴場が再び見られるようになったなら「中世において人々はそれなりの頻度で入浴することができた。なぜなら公衆浴場があったから」と回答することは一応誤りではないことになります。

本題に戻れば、公共浴場を維持するには当然上水道等の設備が必要であり、入浴できる環境で同時に飲用水が不足することはあまり想定できません。

むしろ公共浴場がない時代でも、小規模な上水道や井戸の存在を想定しなければいけません。

とはいえここは慎重に「前掲書によれば12世紀には大都市で公共浴場が見られた。このことから考えれば12世紀に飲用水が不足したとは考えにくい」と回答いたしましょう。

さて前掲書では面白いことにご質問の「飲用水が不足した」という噂に近い情報が出ています。

その噂の発信源は栄養学者サー・ジャック・セシル・ドラモンド『イングランド人の食卓 五世紀にわたるイングランドの食事』です。この誤解を前掲書はこう説明しています。

当時の条例は、「料理店」による腐肉販売を非難しており、(ドラモンド)夫妻はその条例をもとに、中世人はしばしば腐った肉を食べていたと推測したのだ。しかし史料が示すのは、中世ロンドンの当局が、まるで近代のように健康と食品の安全に意を用いていたことだ。夫妻が行ったことは、中世人の不衛生と病い、というステレオタイプを誇張しただけだった。

また歴史学者ジュール・ミシュレの言葉も前掲書で取り上げられています。

曰く

(中世の間)千年ものあいだ、入浴という習慣がまったくなかった

というのがミシェルの言葉でしたが、この言葉はすでに書いた公共浴場の存在によって否定できます。

質問者さんが触れた「飲用水不足の噂」もおおかたジュール・ミシュレ等の誤った過去の説(こちらは一応本になっているので説としておきましょう)を誇張したか、部分的に切り取って理解したものと予想します。

まさしく、このような「中世の偽情報はどのように広まったか」が前掲書の主題です。

興味があればぜひご覧いただければと思います。

https://www.heibonsha.co.jp/book/b557936.html

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