先日興味深いインタビューを見ました。
イギリス人のモビーン・アザー氏が東山紀之氏にインタビューしている動画です。これを日本語英語の両方を理解した上で(つまりどちらの字幕にも頼らずに)見た人は一種の「酔い」を感じたろうと思います。
モビーン・アザー氏はこれを解決すべき問題と考えています。そして東山氏にはそれを解決する能力があると考えており、それを東山氏がやらないことに腹を立てています。これを「する型アプローチ」と名付けましょう。
ところが東山氏は「どうすればモビーン・アザー氏と世間が私を許してくれるだろうか」ばかりを考えています。これを「なる型アプローチ」と名づけることにします。
東山氏とスマイルアップ側は「どうしたらモビーン・アザー氏がいい印象を持つようになるだろうか」と考えてある素晴らしい作戦を思いつきました。被害者にも問題があるのではないかと指摘する被害者をモビーン・アザー氏に会わせました。アザー氏はそもそもスマイルアップ社の行動原理が理解できませんから、これを「スマイルアップ社が事態を隠蔽しようとしている」と誤解します。両者の感覚の違いは最後まで埋まらないどころか悲劇的な決裂を迎えました。
ご質問は「する型」アプローチなんですよね。問題解決が優先されるべきであってそのためにステークスホルダーが問題をどう分析しどう取り組むべきかを考えている。ところが日本には意外と「する」が決定的に欠落している人たちがいるんです。
なる型アプローチの人は「自分のせいで世間が大騒ぎになってしまった」ということが本質であると考えます。
問題は東山さんのような「なる型人間(つまり受け身の世界観を持った人)」がどうやったら「する型人間」になれるかということです。インタビューを見ていただけるとわかるのですが、おそらくそれは限りなく不可能に近いと思います。
日本が・日本人がというと主語が大きすぎるのですが、世の中の根幹を動かしている人には「受け身のなる型人間」が多く、それが問題解決型の「する型人間」をイラつかせているというのが、ご質問の趣旨ではないかと思います。