Quoraには日本語版ローンチ(2017年)から参加しており、現在回答数が600件少し、フォロワーが5200人です。

https://jp.quora.com/profile/Ryo-267

私は、Quora日本語版は衰退期にあるものと考えています。長期的な観点からいえば失敗です。理由は以下の通りです。

1 著名人の参加が少なすぎる

ローンチ当初のQuora日本語版は完全実名制であり、一部には顔写真の表示も求められていました。そのため、学歴・職歴を明示したアカウントによる専門的な回答が多く見られ、知的好奇心を満たす場所としては非常に好ましいコミュニティでした。私はもともと日本のネットコミュニティにおける異様なまでの匿名信奉を好まず、また知的好奇心を満たすコミュニティを求めていたこともあって、当初のQuoraの環境はまさに理想的に感じました。英語版がそうであるように、さらに多くの著名な専門家や「インフルエンサー」が実名で参加してくるであろう期待もありました。

ところが、著名人の参加はほとんど見られません。もちろん皆無ではありませんが、英語版のように、元大統領や著名な俳優・音楽家が相当数回答を書いているような状況とは程遠いものです。

この状況で、21年5月に実名制が撤廃されたことにより、経歴も学歴も明示しない「ハンドルネーム」の参加者が多数となりました。結果として、「リアル」とは切り離された特殊なネットコミュニティとしての傾向が強まっていき、議論よりも馴れ合いが目立つようになります。

2 馴れ合いが促進したデマと差別の拡散

もちろん、ある程度コミュニティが成熟すればそこに濃密な人間関係が生じるものです。濃密な人間関係があれば、第三者からは理解し難いやりとりも当然行われるでしょう。人間関係一切を「馴れ合い」と非難するべきではありませんし、ある程度の大喜利的な回答やコメントもあって然るべきでしょう。むしろユーモアに富んだ回答ならば、多少は趣旨から逸れても構わないと思います。

しかし、馴れ合いの人間関係には、真摯な議論から目を背けさせる機能があります。ましてQuoraは知的好奇心を満たすQ&Aサイトだったはずです。

もともとQuoraにも、ネットにありがちなデマや差別は散見されましたが、実名制の撤廃でこの傾向は加速しました。「朝鮮は植民地ではなかった」「大日本帝国は大東亜戦争に大勝利を収めた」などという甚だしい歴史改変を述べる回答、「中国が攻めてくる」「在日が日本を乗っ取る」と無根拠に恐怖を煽る回答、「日本スゴイ」の愛国ポルノ、「憲法は国民に規範を示すもの」なんていう最低限の知識すらない回答、なんでもかんでも「左翼」「左派」に帰責する回答・・・それこそ枚挙にいとまがありません(しかもそれらに数百から1000超えの高評価がつけられている)。堂々と剽窃を行い、他人の業績を切り貼りして意味を改変し、指摘されても撤回も謝罪もせず、相変わらず「愛国的」な回答を続けている方もたくさんいます。

私は目につく限りで批判・反論を行ってきました。言論の自由市場においては、それが知る者の一種の義務だと考えるからです。ところが、ごくわずかな例外を除いて、私以外に反論する人なんていない。それどころか、回答に対する批判・反論に対して、「あの人は悪い人じゃないから」なんて擁護論が目立ち始め、さらには、これまで知的で冷静な方だと信頼していた人々が、デマ・差別回答に堂々と高評価をつけるようにもなってきました(Twitter同様、Quoraの高評価はフォロワーに告知されます)。

これが、狭いコミュニティにおける「馴れ合い」の結果です。デマや差別さえ、「あの人はいい人だから」で許容してしまう。

「韓国は日本を貶めようとしている」(韓国『人』でさえなく国名が主語になっている)とか、「日本で世界最古の土器が発見されたから日本は世界最古の文明だ」とか、「地政学によると中国は日本を倭族自治区にしようとしている」とか、そういう回答にさえ、「いい人だから」「仲が良いから」という理由で高評価をつけ、拡散する人々がいる。しかも、私以外はほとんど批判も反論もしない。

回答そのものの是非ではなく、回答者の人格を評価しているということなんでしょう。いや、そりゃお隣さんでもあればそういうこともあるでしょうけど、Quoraは議論向けのQ&Aサイトだったはずです。まして内容がデマや差別に陰謀論だったらどうでしょうか。現時点で、もはや知的好奇心を満たすQ&AサイトというQuoraの趣旨は喪失し、お友達による馴れ合いと大喜利、そしてデマと差別の拡散が主目的となっています。

Quoraにおいては基本的かつ最大のルールとして「BNBR」(Be Nice, Be Respectful)が存在します。日本人は批判を好まず、ゆえに議論ができないということは昔から言われますが、日本人にとっては批判や議論をしないということが「BNBR」の体現なのかもしれません。結果としてBNBRは、批判しない・反論しない・議論しない、という馴れ合いの醸成に大いに役立っているようです。障害者や他国他民族へのRespectさえ欠く人がやたら多いんですが、そのへんはBNBRにも引っかからないみたいですね。

3 スペース機能が作ったデマと差別の巣窟

そもそも議論ができない人が多すぎます。証拠や出典を求めるとYouTubeやWikipediaを引き、その問題点を指摘すれば悪魔の証明を求め、寛容のパラドクスも知らず、そもそも知ろうともしない、そういう人々がデマと差別を述べる。なんてことはない日韓文化比較の原文を憎悪を含むものに曲解し拡散するコメントを指摘すれば「個人の感想です」と逃げ、そもそも引用元がなんら信用に値しないことを示せば「ここはQuoraですよ」と開き直る。この程度の人はいくらでもいます。

もちろん、どこに行ってもある程度は、議論どころかテキストでのコミュニケーションすら困難な水準の人々がいるものですし、規模が大きくなればそういう人が参加してくることもやむを得ません。受け入れるのであれば、反論や批判が目につきやすい工夫、回答の削除や公開停止処置、アカウントの凍結まで含めたレギュレーションが必須ですが、Quora日本語版の運営はほぼ何もしていません。

問題のひとつが、そういう人々やそういう話題に居場所を与えてしまった「スペース」の存在でしょう。

「スペース」は参加者以外には基本的に投稿が見えないシステムであり、かつてのmixiの「コミュニティ」などに似た機能です。馴れ合いを分離し、自分にとって不快な投稿を目につかなくする効果は確実にあったのですが、その効果を利用して、何を言っても批判されない場所が作られてしまいました。

このスペースと参加者たちが現在のQuoraを象徴しています。

https://terebi-ga-gen-wa-nai.quora.com/

本回答中で例として引いた趣旨の回答(太字)は、ほとんどこのスペースに投稿されたもの、または参加者が投稿したものです。実名顔出しの大型ユーザーも何人も参加しています。内容には関知しない、「参加しているだけ」「名前があるだけ」ならば、それこそまさに馴れ合いでしょう。

「証拠なし」での回答や投稿など、本来は批判にさらされるべきものです。そうでなければ議論は成立しませんし、ゆえに対抗言論は形成されず、言論の自由市場など夢のまた夢でしょう。ところが、Quoraではこうした無根拠なデマや差別、陰謀論が堂々流れ、批判や反論は低調で、あっても馴れ合いで封じられる状況です。その馴れ合いを破るような物言いは、「私刑」「晒し」などと逆に批判されてしまう。

私以外で積極的な批判・反論をしてきた方々は、ほとんどQuoraを去りました。本来、コンテンツの質を高めるために運営が継続的参加を促すべきだったのは、信用に足る出典や証拠を求め、デマや差別を批判してきた方々でしょう。ところが、その意図はなかったとしても、結果としてデマと差別を運営が促進している現状です。

4 結論

Quora日本語版が衰退期にあり、失敗であると私が考える理由は以下の通りです。

  • 著名人の不参加

  • デマと差別の跋扈

  • 馴れ合いによる

    • デマと差別の拡散

    • 議論の放棄とその正当化

  • 参加者の質の相対的低下

「ある程度は致し方ない」、それは間違いありません。Quoraの問題は、これらを結果として運営が促進してきたということです。著名人や専門家については、日本においてもっと積極的に呼び込むべきだったでしょう(この点はMondは現時点でよくやっていると思います)し、良質な(少なくともQuoraにとって好ましい)回答を書いている回答者をより優遇する、そのように仕向けるシステムを構築すべきでした。

なにより最大の問題は、デマと差別に対するレギュレーションが緩すぎる、ということです。議論が求められるQ&Aサイトにおいて、「証拠なし」での怪しい情報を許容する道理があるでしょうか。なお許容する必要性があるのならば、それに対する批判や反論が徒労に帰するようなUIや低評価システムを見直すべきでしょう。ところがQuoraではどんなに差別をしようとデマを振り撒こうと、刑事レベルの中傷や加害予告でもない限りアカウントが凍結されることはありません。

回答の質は別論としても、私はフォロワー5200、閲覧数1200万、高評価数28万を超えるQuoraにおいてはかなり大型のユーザーであり、デマや差別に対し積極的な反論を行なってもきました。が、デマと差別を放置してむしろ奨励するシステム、おそらくは資金難もありずさんに過ぎる運営を見限る時期が来ています。私以外にも同様の理由でQuoraを見限る人は増えていますし、複数の大型ユーザーの脱退は相当なインパクトとなるでしょう。

そして、何がQuoraに残るか。

「地政学」を語って中国が攻めてくると恐怖を煽り、韓国の「民度」を嘲笑い、大日本帝国は大東亜戦争に大勝利を収めたと述べ、朝鮮は植民地ではないと主張し、日本の経済的停滞は「K国」と「チャイナ」が広めた事実無根の話と決めつけ、報道の不自由さやジェンダー差別は「欧米」と「キリスト教」による内政干渉で、四季があって水道水が飲めて自販機が破壊されない日本に問題などあり得ず、憲法は国民に規範を与えるもので、改憲反対論者は皆共産主義者で、コロナは陰謀で、すべての病気は石油で作られた「農薬」のせいで、医師と学者は「ノーテンキ」な「あっち側」だ、などと断ずる回答だらけになるでしょう。多くのユーザーはそんなデマや差別も見て見ぬふり、どころか馴れ合いの高評価すらつけて開き直る。実際、すでにそんな状態になっています。

ブロックしようとミュートしようと、見るのも嫌なデマや差別回答がタイムラインに並ぶ(人種差別に限らず、『障害者は嫌い』なんて障害者差別さえ当たり前に出てきました)。それを、まさかこの人が、という人が書き、なぜこの人が、という人が高評価をつけ、シェアして拡散している。

うんざりしました。

運営は差別を許容していると断じざるを得ない。馴れ合いでデマや差別に高評価をつけ、陰謀論と「日本スゴイ」が並ぶスペースにメンバーとして参加し、コメントで称賛を送ったり「プンスカ」したりしている「トップライター」たち。「差別には反対ですが」などと言い訳めいたコメントをつけたところで、行動がすべてを物語っています。もはやQuoraは終わったな、とため息が出ますね。

Quoraにもおいて再三申し上げてきましたが、デマと差別には厳しく対処しなければ知恵袋化、ヤフコメ化は必定です。現にQuora日本語版はそうなりました。これは本サイト、Mondにおいても同じであり、MondにはQuoraという失敗例を大いに参考にしていただきたいと思います。

1年1年更新

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