僕も質問者さんと全く同じ意見です。おいしさとは常に味とロマンの総和ですから、情報を否定するというのは、このロマンの部分をみすみす放棄することになる。あーもったいない。

「うまけりゃいい」「味がすべて」というのはいかにも正論ですが、自分の最初の感覚だけで気に入ったものしかおいしいと認めないということでもあるわけで、味覚の幅を広げるつもりの無い態度とも言えます。

もちろん個人のレベルならそれでもいいのかもしれませんが、好みも様々な不特定多数の人々を相手にするプロは、そうも言ってはいられません。だからメニュー名・商品名やキャプション、あるいは口頭などで「それがどうしてどのようにおいしいのか」を物語る必要が出てきます。

無頭髪のラーメンの人のセリフは、そういう時に「つまらん物語ならやめろ」「つまらん物語をありがたがるな」と言っているのだと解釈しています。しかし、キャッチーさだけを追った物語は、どうしても平凡でつまらないものになりがちです。このあたりが提供側のジレンマです。そして実際は、開き直ってつまらない物語が量産されています。

それにウンザリしているのもまたプロです。だからついつい「おいしいかどうかがすべて」的なことを口にしがちです。それはある種のポーズなのですが、個人的には「プロがそれを言っちゃあおしめえよ」と思っています。

10か月

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イナダシュンスケさんの過去の回答
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