言語の単純化と複雑化に関するご質問をいただきました。
まず「わからない」というのが率直な回答です。
まず問題となるのは、言語における単純さ・複雑さの定義です。言語学では、言語の単純さ・複雑さをどう捉えるかについて、またある言語の難易度を測定する方法について、広く合意された見解はありません。
私たちは、母語話者としての直感や他言語学習の経験から、ある言語がより易しい、あるいは難しいといった感覚をもつことは多いだろうと思います。しかし、言語学の観点から、それを客観的かつ総合的に示す指標は、いまだ開発されていません。言語において何をもって単純とみなすかについて考慮すべきパラメータが多すぎて、仮説や試論は提案されてきたにせよ、整理がつけられていない状態です。いずれ整理がつくのかどうかも心許ないところがあります。
言語を構成する諸部門、例えばある言語の「音声」「文法」「語彙」等を考えてみるとき、各部門の難易度を測定するのに、複数の異なるパラメータが関わってくるだろうと想像されます。「音声」であれば、話し手の観点から習得しやすい、しにくいといった観点もあるでしょうし、聞き手の観点から聞き取りやすい、にくいといった観点もあるでしょう。両者は相反する可能性が高く、「音声」の難易度を測定するためのパラメータ設定それ自体が、やっかいな問題です。
「文法」でも事情は同じです。文法的な不規則性が消滅すれば表面的には単純化と見えるかもしれませんが、かつての不規則性そのものが重要な情報・意味を担っていたとするならば、それが失われたことによって伝達効率も下がってしまったことになります。言語体系の機能を全体的に考えるとき、これははたして単に単純化と言ってしまってよいのか、否か。
「語彙」についても、少なければ個々の単語の習得に要する負担が小さくなりそうに思えますが、一方で個々の単語が担う意味(=語義)が多くなる可能性がありますし、込み入った意味を表わすのに1語で表現できず、語数を尽くす必要が生じるかもしれません。
もしかりに「音声」「文法」「語彙」の各々の部門内部でのパラメータ設定がうまくいったとしても、その言語全体の難易度を測定するのに、部門ごとのウェイトがどうなっているのかを決める必要があります。しかし、これも研究者ごとに考え方が異なるでしょう。
このように言語の単純さと複雑さの定義が未確定である以上、ある言語変化の結果、その言語が単純化したか複雑化したかという問いにも答えを与えられないことになります。言語変化の効果が現われたある特定の側面に限定して、それが単純化だったのか複雑化だったのかを議論することは、もしかしたら可能かもしれませんが、それが言語体系全体のなかでどのように位置づけられるのかは、にわかには決められません。
かりに「単純化」を「表面的な不規則性が減じる」ほどの意味で理解するということであれば(これ自体がおそらく単純すぎる理解なのですが)、言語接触が濃密な言語は「単純化」しやすいといわれます。揉まれて角が取れるイメージです。ただし、言語接触の結果、2つの言語体系が複雑に入り交じって「複雑化」する例もあり、一筋縄ではいきません。
人類の初期言語の質問についても、言語は発生の当初から現代と同じような複雑性を有していた(あるいは発生後の短期間で十分に複雑化した)とする説がありますが、これも結局のところ複雑さをどう定義するかに依存する問題だろうと思います。
ご質問いただいた話題と関連して、参考までに私の運営する「hellog~英語史ブログ」よりこちら記事群もご参照ください。