レシピ無しでおいしい料理を作れるようになるためのファーストステップは、基準を知ることです。
例えば味付けに関して言えば、料理の仕上がりの塩分濃度が1%に着地するのが基準だったり、和食の場合、醤油と味醂は1:1が基本、味醂を砂糖に置き換えるならその1/3、など。
例えばこの2点だけを応用して「大根の煮物」を作るとしたら、500gの大根と500gのダシを火にかけて、途中で50gの醤油と50gの味醂を加える。最終的に水分がある程度蒸発して鍋の中が800gになれば、50gの醤油の塩分量は8gなので、数値的にピッタリに仕上がるということになります。
もちろんこれは基準値なので、人によっては濃いと感じる人も薄いと感じる人も、もっと甘い方がいいと感じる人もその逆もいるわけで、そしたら微調整していけばいいのです。
また、その調整を経てこの基準料理が美味しく作れるようになったら、味付けのバランスはそのままをキープして材料だけをスライドしていけばいい。例えば大根を100g減らして鶏肉を100g入れればよりコクのある味になり、更にもっと鶏肉の割合を増やしたらダシじゃなくて水でも良くなる、香り付けに生姜を入れてみよう、鶏肉じゃなくて豚肉でもやってみよう、そうなると少し甘めの方が良さそうなので砂糖を足そう、そうすると少し味がぼんやりしてしまうので鍋中が700gになるまで煮詰めよう、みたいな風にいくらでも展開が可能になります。
ダシを顆粒だしなどで代用するならそれに含まれる塩分の分醤油を減らす、大根じゃなくて蕪や里芋でもやってみる、などなど、最初に覚えたレシピはひとつだけだったはずが、無限に広がっていきます。
さて、もうお気づきでしょうが、こういった形で上達の道を進むなら「計量」は必須です。まな板の横に常にデジタルスケール(2kg)を置いて料理することを個人的には強く推奨しています。またスケールは材料をはかるだけではなく、仕上がり分量(鍋中重量)を計るのにも使います。そのために普段使う鍋は、そのものの重量をはかっておく必要もあります。
そしてここまでを踏まえて最も重要なのが、作ったものを可能な限り記録してログ化していくことです。材料をどれだけ入れて調味料は何を何g入れて仕上がりは何gに着地したか。また、火加減や時間はどうだったか。そして大事なのは食べた感想。次作るときはそれを参考に微調整です。これを続けていくと、ログは下に下に伸びていき、その感想に「完璧!」と書くしかない瞬間が訪れます。一生作り続ける得意料理の誕生です。
昔の日本人は、作る料理のバリエーションが今よりはるかに少なく、もちろん古典的な和食に限定されており、しかもそれは大家族の中で自然に伝承されていきました。だから計量もログ化も全く必要なかった。それが失われた現代において、それは極めて有効なアプローチだと思います。
スケールでの計量は、その習慣が無いと面倒そうに感じられるかもしれませんが、やってみると実は何てことありません。むしろ「なんで今まで大さじ小さじなどという面倒な道具を使ってたんだろう!」とさえ思うことになるでしょう。
そして、しつこく計量を続けていけば、いつしか基準の感覚が身に染み付いて、計らずに何でもスイスイ作れるようになります。計らずによくなるために計る、とも言えます。
ただ問題は、実は最初に書いた「基準となる料理」のレシピが手に入りにくいことです。本当はたくさんあるのですが、現代はレシピの洪水ですから、その中に埋もれています。現代の多くのレシピは「差別化」にしのぎを削らざるを得ませんから、余計に基準から離れ、それが見えにくくなっています。麺つゆなどの複合調味料はそれ自体がブラックボックスとなって基準を覆い隠しています。
そんなこともあって僕は基準を丸裸にした「ミニマル料理」という本を作りました。最後にちゃっかり宣伝して終わりです。
ただしこの本が網羅する「基準」は、世の中のごくごく一部にすぎません。もっと幅広く基準を網羅した……つまり一見当たり前すぎて何の価値も無さそうな(例えば上に書いた大根の煮物みたいな)本が作れないかなと密かに画策しています。