可能不可能で言えば可能です。
古代ローマにカテリーナという人がいました。
貴族として生まれ、ローマの最高階級である執政官選挙にも出ることができる人でした。
最終的に選挙に負けたことを恨み、クーデターを試み、死にました。

彼は社会の上位1%の人間(執政官選挙にも出れる有力貴族)でしたが、被害者意識はあったと想像できます。
カテリーナは選挙で彼を負かした対立候補の被害者だと思っていたでしょうし、
選挙のための資金を貸す金貸しに対しても被害者意識をつのらせたことでしょう。
なにせ、彼のクーデターの目的は「債務の取り消し」、つまりは借金の消滅でしたので。
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被害者意識を持つ理由は想像できません。
ご質問の「恵まれた環境」にある人でもたとえば大谷翔平より野球は弱く、藤井聡太より将棋も弱いことでしょう。そのことに被害者意識を持つことは可能でしょうし、「人生においてなにかに負けること、ないし傷つけられること」という定義なら、一度も被害者にならないことはありえないお話でしょう。
むしろ「被害者としての体験」とは誰でも持つからこそ、一度持った被害者意識をどう消化するか、あるいは解決するかの方が興味深いですね。

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それこそ歴史に-良きにつけ悪しきにつけ-多くの影響を与えたイエスは大工の息子と伝えられ、彼が持っていたものと言えば思いやりと友人ぐらいでした。
なにかを持っているか、持っていないかはそれ自体は人生を決めるものではないように思います。

7か月

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