僕がインド料理から学んだものは「スパイスのチカラ」もさることながら、それ以上に、「野菜の旨さ」でした。
僕は日本人ですし、和食も一通り学んできましたから、おいしい料理にはダシが不可欠、という概念は人一倍強く、また明確だったと思います。この場合の「ダシ」は、当然、鰹ダシを中心とした動物性のダシということになります。昆布ダシってのもありますが、それはあくまで鰹などの動物性と組み合わされてナンボです。
しかしインドのベジ料理は、「確かにそれはうまいけど、それが全てじゃないよね」と、せせら笑うかごとき達観ぶりを見せつけてきました。南インド料理を学ぼうと思い立って、洋書のレシピをめくり始めた時、僕は我が目を疑いました。いやいやいや、こんな材料でうまくなるわけないだろ! と。だってそこにうま味の要素無いじゃん、と。ダシも無いし発酵調味料もない。それで料理が成立するはずない、と思ったのです。
しかし半信半疑でやってみると、それは確かにおいしかったのです。これがスパイスのチカラか!と思いました。しかしその納得は、半分正しく半分間違っていることにもすぐに気が付きました。野菜だけでも充分「ダシ」は出るんだな、という、虚を突かれるような発見です。
キャベツって結構うま味あるじゃん。
ブロッコリーは更に強いじゃん。特に茎。
カリフラワーもそれに近いけど、なぜか冷凍物はスッカスカ。
ナスや瓜類は思いのほかうま味が無いけど、油分と塩をキメたらうま味っぽい何かに化けるじゃん。
グリーンピースはもはやうま味の塊なのではないか。あ、インゲンやキヌサヤもだ!
ただしもちろんそれらは、鰹と昆布の合わせダシのように強烈なものでもないし、安定もしていません。うまく扱わないと、うま味は引き出せません。スパイスはその「上手く扱う」の幅を広げます。
そんな中で、トマトは確かに別格です。そりゃあ世界中で愛されます。なので「トマトの旨味が土台」という質問者さんの見立ては、割と合ってると思います。ただし、インド料理におけるトマトの歴史はかなり浅いです。(南インドは特にそうです。)トマトは強力なオプションではあるけど、必須というわけでもない。
そんな中で僕が一番驚いた素材のひとつがジャガイモです。和食、というか日本の食文化において、ジャガイモは「うま味を吸わせる食材」と認識されがちだと思います。もちろん僕もそう思っていました。肉じゃがは、肉やダシのうま味をジャガイモに吸わせることでおいしくなる、みたいにイメージです。しかしインド料理ではそうではありませんでした。ジャガイモは(トマトほど強烈ではないにせよ)確実に「うま味を放出する」存在だということに初めて気がつきました。
野菜のうま味は概ねグルタミン酸ですが、野菜料理のうま味は、グルタミン酸の絶対量だけでは決まりません。甘みがそれを補完したり、酸味やエグ味などの「マズ味」がそれを引き立てたりします。そしてかなり重要なのがテクスチャーです。若干乱暴な言い方にはなりますが、柔らかければ柔らかいほど、うま味は強まります。インド料理では野菜をクタクタになるまで加熱しますが、そうすることで初めてうま味は引き出される。和食において野菜はシャキっとした食感が重視されますが、これはダシがうま味を補うからこそ成立している部分も大きいと思います。
柔らかいを通り越してペースト状になると、感じるうま味はマックスになります。インド料理にはこの機序を利用したものが多いです。チャトニーはまさにこれですし、インド料理以外でもこの法則は成立します。例えばヴィシソワーズやガスパチョは、ペースト化するからこそ、動物性のうま味無しでも充分すぎるくらいのおいしさが現れるのです。だから、質問者さんがじゃがいものスープにノックアウトされたのは、ある意味で必然だと思います。
インド料理における、このペースト化ないしは半ペースト化することによるうま味増強の最たるものが、豆料理ということになります。これもまたアフリカや中南米、もちろんヨーロッパにも共通する文化です。豆をポタージュ状に煮崩したり、崩れなくてもとろみの強い豆は形を残したり。日本の納豆も、ある意味そのロジックの中にあると思います。
もちろんスパイスは、こういった野菜独自のパワーを引き立てます。スパイス自体にうま味はありませんが、例えばクミンやフェヌグリークなんかはどこか、うま味と錯覚させるかの如き風味を持っています。
油脂もまた極めて重要です。味蕾が油脂の皮膜越しに塩を感じる時の感覚は、うま味の感覚によく似ているのだそうです。逆に言うと、伝統的な和食は極めて油脂が少ないからこそダシが重要になるとも言えます。
そんな感じで、野菜そのものの成分(うま味とマズ味)、その加熱法とテクスチャー、油脂によるブースト、そしてスパイス。そういった複雑な要素を組み合わせて体感的な旨味を最大化するのが、インドのベジ料理の本質と言えるのではないかと思います。和食だと、ダシや発酵調味料の強烈なうま味でそこを効率よくショートカットしている、と言えるのかもしれません。