研究者であれば研究とその成果の共有(論文など)こそが本分であり、誰もが絶対に特許を出すべきだとまでは思いません。

特許のそもそもの目的は「事業上の優位性を保つために研究成果を秘匿したまま事業化されてしまうと発明が独占されて社会の損失になってしまうので、研究成果の公開とその先行者利益の保全を社会レベルで推し進めること」です。つまり事業や利益の話を抜きにして特許の話はできません。

ビジネスの戦略上、特許を取得して知見を公開しながら社会に先行者利益を認めさせる腹積もりならもちろん特許を出すべきですし、その過程でその研究内容について一番詳しい企業内の研究者にその特許を取得せよと業務命令が下る事は全く自然な成り行きです。その時に特許を出す労働者は研究者とはいえビジネスマンとしての色合いの方が濃くなると言えます。

大学の研究者ももちろん特許を取ることはありますが、特許はそこから展開するビジネスで得る利益を保護するための仕組みであって、その利益の計画が全く無いのに特許を取るのは特許の哲学に沿っているとは思いません。もちろん誰しもがこの資本主義の中で生きる限りはビジネスマンとしての顔を持ち合わせていて、あらゆる研究者が特許を取る事ももちろん肯定されるべきですが、特許を出しているその瞬間には「これでひと儲けするつもりです」というビジネスマンのタテマエで特許を出しているという意味では研究者と呼べないという主張も一理あると思います(僕はビジネスマン兼研究者というキャリアは大いに結構だという立場です)。

僕の専門であるソフトウェアに限って言うと、ソフトウェア特許を取るというのはあまり有効でないと感じています。まず自然法則を利用した技術的思想の創作としてソフトウェア上の発明を定義することが大変な上に、他人がそれを侵害している事を立証するのも一苦労ですし、裁判で争って特定の発明成果を取り合うよりもっと別のビジネスを探しに行くほうが利益の期待値が高いと考えているからです。裁判で争う価値のある特許が世の中に存在する事は肯定しますが、これから提出する特許にその価値がつく確率は高くありません。また特許はその先20年での権益を保護してくれますが目まぐるしく進化が加速し続けるソフトウェアの業界において今後20年と同じビジネスが保てると想定するほうが無理があります。

また、これから行う行動が後から他人に特許が取られてしまうかも…という懸念を口にする人も居ますが、心配であれば論文なりブログなりでどんどん発信してしまうと良いです。それなら他人に特許が取られても過去に発信した情報を元に公知であったと主張すればあちらの特許を無効化できるので自分の情報公開の1年6ヶ月以内に侵害する特許が公開されなければその後の特許はすべて無効にできます。サブマリン特許はもう塞がれてるのでまず心配する必要もありませんし…。

長くなりましたのでまとめると

・特許は取りたかったら取っても良いがビジネスマンとして取るタテマエが前提になる

・ソフトウェアに関してはビジネスマンが利益を追うなら特許以外の方が効果的だと思う

以上参考になりましたら幸いです。

1年1年更新

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熊崎 宏樹さんの過去の回答
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