これたぶんものすごく個人差が大きい話なのではないかと思っています。特に脂耐性。

「焼肉でカルビはもう無理」という話は、同年代どころかもっとずっと年下の方からも良く聞きますが、少なくとも僕は今のところその兆候はありません。むしろ昔より好きになっている気もする。そしてそういう人は、少数派なのかもしれないけど確実にいます。

小宮山雄飛さんも「若い頃はヒレカツだったが、その後ロースになり、今は串カツ」というようなことを書かれていました。つまり脂比率が高い方に推移しているわけです。

アメリカで高齢者向け飲食店を成功させた人がインタビューに答えて「咀嚼や嚥下がスムーズになるように油脂を増やし、感覚が鈍くなっている分味を濃く」と語っていました。アメリカ人みんながそう、というよりは、そういう人を狙い撃ちして成功する程度には(アメリカでは?)その比率が高いということだと思っています。

新しいものにチャレンジ、はどうでしょう。かつて和洋中しか知らなかった頃にタイ料理に出会ったような衝撃は、もうこれからは無いような気はします。しかしこれは、むしろ既に自分が知りすぎてしまったからです。

高野秀行さんのように辺境にまで分け入ればまた話は全然別なのかもしれませんが、少なくとも日本にいて、たとえ同胞ターゲットであってもそれが商売として成り立つようなものなら、「なるほどね」とすんなり受け入れてしまう。ここにも老若の差は無く、むしろ個人差だと思います。最近はむしろ若い層の方がこういうことに対して保守的な印象もありますし。

量の問題は確かにあると思います。なんだかんだ若い頃ほどは食べられない。しかしこれもさほど残念には感じていません。若い頃は「おいしい」に加えて「量が多い」という条件でお店選びをする必要がありましたが、今は「おいしい」だけでも良くなり、選択肢の幅がグンと増えました。例えばコース料理などは、普通に一人前で一応満足できる。おいしかったけど足らなかった、と感じるより、それはそのコースを堪能しきれたことになります。

逆に若い頃から一人前で満足していた人は、食べきれない問題が発生するのは想像に難くありませんが、うまくできたもので、年を重ねてから行けるようになる高級な店ほど量は少なかったりもします。年齢とともに収入が増えるという社会モデルが、今後どうなるかはわかりませんが。

食べ放題は若い方が有利ですが、冷静に思い出して、食べ放題にして良かったと思ったことが過去にどれだけあったでしょうか。せいぜい高校生のシェイキーズまでではないか。食べ放題は食べ始める前が幸せのピークで、基本的には何かしらの後悔が残ります。むしろ大人になって「ビュッフェとは何を食べないかである」と悟った後の方が豊かな気がします。

 

というふうに考えていった時、僕はひとつだけ残念に思っていることに行き当たりました。それは「大量の米をモリモリ食べる」です。特に、ライスマネージメント能力を発揮して乏しいおかずでやりくりする時のあのおいしさは、もしかしたらもう味わえないのかもしれません。

ご飯がセルフでおかわりできるタイプの店で、卓上の味付け胡麻やら小鉢の冷奴やら付け合わせの千キャベツやら、あらゆるリソースを駆使して何膳もおかわりする、そんな時のご飯ほどおいしいご飯はありません。もうこれくらいにしとこうかな、と思った矢先に厨房から炊き立てのご飯が運ばれてきて保温ジャーにうつされると、もういっちょ行っとくか、と最後のおかわりをする。ライスマネージメント的には想定外なので、もう味噌汁くらいしか残ってないのを無理やりそれで食べる。ああ、味噌汁とご飯ってこんなにおいしかったっけ……。

もしかしたら今でも、酒を一切飲まずにいきなり「定食」に対峙するなら、多少はそれに近いことも可能かもしれません。しかしそれは近いけど決して同じではありません。それが寂しいので結局酒に逃げてしまいます。こんなダメな大人になる前に、米は若いうちに食べましょう。なるべく乏しいおかずで。

2023/12/09投稿
Loading...
匿名で イナダシュンスケ さんにメッセージを送ろう

利用規約プライバシーポリシーに同意の上ご利用ください

Loading...