加害を描出するには質的調査よりも量的調査のほうが向いていると思いますが、加害に注目した質的調査もありますよ。ただ、確かに、調査対象としてマジョリティよりもマイノリティのほうが選ばれやすいという傾向はありますね。それは、マイノリティのほうが差別についてよく知っているためです。

ぼくの研究仲間である福岡安則さん――差別問題でたくさんの質的調査をやってきた方です――は、しばしば「マジョリティは差別について考えていないので、聞き取り調査をやっても意味のあるデータは得られない」と強調します。例えば、差別事件が報告された地域の有力者に聞き取り調査をしたところ、「この地域には部落差別なんかないですねぇ」といった表層的な語りしか得られなかった。語るべきコンテンツがないという状況だったといいます。福岡さんは一連の語りを受けて、「では、例えば、あなたのご家族が部落の青年と結婚するとなっても反対はなさらないということですね」と聞いたところ、「そんなわけないじゃないですか。部落との結婚なんてとんでもない」と反論してくる。差別意識を隠していたのではありませんよ。語り手は、この発言が差別にあたると認識すらしていなかったわけです。

差別というのは非対称的な事象です。「非対称的」というのは、マジョリティ(普通の人)とマイノリティとが同じように何かを経験するのではなく、マイノリティだけが重点的に被害を被るような状況を指す言葉です。そうすると、まったく同じ差別事象を見ても、マジョリティとマイノリティとでは見え方が違うという現象が頻繁に起こります。というのも、マジョリティは、自分が直接的に差別の被害にあうわけではないので、「差別だ」という告発を見聞きしても、見て見ぬふりをしたり、「そんなの差別じゃない」と否認することで、重たい問題を考えなくてすむ状況に逃げることができます。その結果、マジョリティには差別問題が見えなくなるし、差別について考える機会すら失ってしまうのですね。それに対してマイノリティは、自分に向かってくる差別から逃れることができませんので、差別といえるような事象に会ったとき、それを「差別」であると見抜く目を鍛えられます。

ということで、差別を見聞きした経験、差別を見抜く力、差別について語る能力、いずれにおいても、マジョリティはマイノリティにはかなわない、という現象が生じるわけです。質的調査の調査者がマイノリティを調査対象に選びがちなのは、そのためです。

おそらく質問者は、裁判のように「加害者側にも言い分がある」と思われたのでしょうけど、結論を端的にまとめると、これまでに行われてきた調査によって「加害者側(とされたマジョリティ)の言い分」があまりにも薄っぺらいため、調査をする価値がないと思われている、ということです。

2023/08/09投稿
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