Voicyを毎日の楽しみにしています。

いつもありがとうございます。

私は不登校経験のある子どもの親です。

息子が小1から中3まで不登校で、現在は通信制高校に在学しています。

不登校の子どもを持つと、親は子どもの将来の不安や、自分の親としての不甲斐なさに苦しみます。

私は息子の心身の健康を最優先に考え、学業よりも楽しむことを重んじてきました。

すると親である私自身も健康を取り戻しました。

そのような経験を、今子どもの不登校で辛い思いをされている方々にお伝えしています。

しかし親側には、どうしても不登校の悩みをオープンにしたくない、再登校すれば安心、という気持ちが強くあります。

私は不登校であっても親子は堂々と遊び、悩みや存在を隠さず生きていくことで子どもの劣等感も薄れるのではないかと考えています。

また、子ども自身が学校へ行く理由として、周りの期待に応えるためとなれば心身ともに疲れ切って逆戻りしてしまいます。

学校へ行けば安心という気持ちは分かりますが、長い人生を考えると不登校というものは一時的なことだと思うのです。

親が元気になることで子どもも元気を蓄えると考え、不登校の親の居場所や不登校家庭の食育講座を開催して、そのようなことを伝え続けています。

いつも佐々木さんのVoicyを聴いて、多角的な視点を持つことの大切さを感じています。

佐々木さんは不登校をどのように考え、社会でどのように不登校家庭を支えていけたら良いとお考えか、ぜひ伺いたいです。

どうぞよろしくお願いします。

私は子どものころ、不登校ではありませんでしたがいじめられっ子でした。不登校にならなかったのは、当時は「不登校」という概念がそもそも存在していなかったからでしょう。学校に行かないという発想さえありませんでした。とはいえ学校に行くのは嫌で嫌でしかたなかったので、もし今の時代に子どもだったら、私は間違いなく不登校になっていたと思います。 質問に書かれている「長い人生を考えると不登校というものは一時的なこと」というのは、まさにその通りだと思います。わたしは小学校も中学校もまったく楽しくなく、いじめが酷くて勉強にも力が入りませんでした。「小中学校で学んだことなど何もなかった」と今でも自信を持って言えます。親でさえもまったく信用できませんでした。そのかわりに当時の自分を育ててくれたのは、たくさんの本でした。 「本ばかり読んでるような子どもはロクな大人にはならん」と吐き捨てる父親の目を盗むようにして図書館に通い、本を読みまくり、そこで得られた知識や世界観が思春期のころの自分の心の支えとなり、軸となりました。学びの志と気持ちさえあれば、学校に行かなくてもいくらでも挽回は可能だと思います。その志を両親など家庭が支えてくれているのであれば、無理をして学校に行く必要など何もないのではないでしょうか。志などなくただ漫然と学校に行っているぐらいなら、志を持って不登校の日々を送る方がずっと健全だと思いますよ。 わたしは運が良かったことに、地元の進学校に進学することができて、高校生活でたくさんの友人ができて人生を取り戻すことができました。「学校って何て楽しいんだろう」と生まれて初めて感じることができたのは、いま思い出しても心地よく輝かしい思い出です。子どもを支え、どこかの段階でそのような「挽回」を実現させて上げることができれば、親としてはそれで十分なのではないでしょうか。

3か月

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佐々木俊尚さんの過去の回答
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