私は子どものころ、不登校ではありませんでしたがいじめられっ子でした。不登校にならなかったのは、当時は「不登校」という概念がそもそも存在していなかったからでしょう。学校に行かないという発想さえありませんでした。とはいえ学校に行くのは嫌で嫌でしかたなかったので、もし今の時代に子どもだったら、私は間違いなく不登校になっていたと思います。 質問に書かれている「長い人生を考えると不登校というものは一時的なこと」というのは、まさにその通りだと思います。わたしは小学校も中学校もまったく楽しくなく、いじめが酷くて勉強にも力が入りませんでした。「小中学校で学んだことなど何もなかった」と今でも自信を持って言えます。親でさえもまったく信用できませんでした。そのかわりに当時の自分を育ててくれたのは、たくさんの本でした。 「本ばかり読んでるような子どもはロクな大人にはならん」と吐き捨てる父親の目を盗むようにして図書館に通い、本を読みまくり、そこで得られた知識や世界観が思春期のころの自分の心の支えとなり、軸となりました。学びの志と気持ちさえあれば、学校に行かなくてもいくらでも挽回は可能だと思います。その志を両親など家庭が支えてくれているのであれば、無理をして学校に行く必要など何もないのではないでしょうか。志などなくただ漫然と学校に行っているぐらいなら、志を持って不登校の日々を送る方がずっと健全だと思いますよ。 わたしは運が良かったことに、地元の進学校に進学することができて、高校生活でたくさんの友人ができて人生を取り戻すことができました。「学校って何て楽しいんだろう」と生まれて初めて感じることができたのは、いま思い出しても心地よく輝かしい思い出です。子どもを支え、どこかの段階でそのような「挽回」を実現させて上げることができれば、親としてはそれで十分なのではないでしょうか。