質問者さんと僕はこの件に関して同じ種類の人間だと思うのですが、現実問題、我々はフリーライドしないと生きていけないコバンザメのような生き物なんですよ。
仮に「無添加信仰」的なものが世の中から失われたらとしましょう。すると、昔ながらの漬物や梅干しはもちろん、伝統的な味噌や醤油、調味料の入らないダシパック、塩だけで味付けされたスナック菓子、そういう(「我々」の)日常に欠かせない多くのものが、完全に消えるとは言いませんが、今よりさらに入手しづらくなるのは間違いありません。
珍しい形の素朴なショートパスタは必ず薄茶の袋に入ったオーガニック商品ですし、丸オクラやセルバチコはスーパーでは「有機」「特別栽培」のものしか見たことがありません。オーガニック信仰が消滅すると、それらの生産者さんたちは立ち行かなく可能性があるでしょう。
薬膳料理やヴィーガンフードも同じ構造ですね。ヴィーガン及びヴィーガンフードは体に良いと考える人がいなくなったら、ファラフェルとフムスがメインのランチプレートは、おそらく日本から消滅します。
それは言うなれば共同幻想の上に築かれた砂上楼閣のようなものでもありますから、どうしてもモヤってしまうことにはなるのですが、良くも悪くもその楼閣は実在するので、それを利用しない手は無い、というのが今の状況ですね。
しかし例えば無添加だしパックは、添加物は身体に悪いと信じる人たちと、単純に味で選んでいる我々が、協働で買い支えているとも言えます。そういう意味では、我々はコバンザメというよりホンソメワケベラのような、宿主と相利共生の関係にある生き物と思った方が気が楽かもしれませんね。
オーガニック信仰そのものとオーガニック給食のように社会に実害を与える可能性のあるものは分けて考えるべきだし、ヴィーガニズムと過激派ヴィーガンの犯罪行為も同じです。それでも僕だって釈然としない部分があるのは確かなのですが、僕はなるべくそこは割り切って、あくまで利己的に生きようと考えています。