料理の発展を理解するのに、僕はよくS/N比の概念を用います。本来はオーディオ用語でSはサウンド、Nはノイズですが、料理の場合Sは好ましい味でNは雑味です。
世界中の料理はSを増大させる、言い換えればさまざまな副材料や調味料を加えることで発展します。これは和食も基本的に例外ではありません。しかし和食に特徴的なこととして、Nを最小化するという努力も他の料理に比べて重要な意味を持つ、という点が挙げられます。
例えば和食だと肉や魚を霜降り(熱湯で洗う)したり、野菜を茹でこぼしてから調理したりします。他の料理ではこういう手法はほとんど見られません。豚の角煮を作るのに豚を長時間茹でてその水は捨ててしまったり、里芋を煮るのに茹でこぼして水に晒しぬめりを取ったり、というのは、ちょっと信じがたい工程です。フランスだと魚を調理するにも表面のぬめりすら取るべきではないという考えもあるようです。「そんなことをしたらせっかくの磯臭さがなくなってしまうではないか」という発想のようです。日本だと磯臭さは徹底的に排除されます。
こういう傾向は日本料理つまりプロの世界ではより徹底されますが、もちろんそれは家庭料理にも波及しています。
ヨーロッパはNを無視してSをひたすら増大させる傾向が特に顕著です。象徴的なのはキャセロールで、密閉性の高い耐熱容器に肉も野菜もそのまま放り込み、無水もしくは最小限の水分を加えてオーブンに突っ込むという調理法。味はもちろん香りも含めて一切何も逃すまい、という強い意志を感じます。Nを改善するためにはハーブやスパイスのマズ味で対消滅を図ります。
ヨーロッパでも高級料理になるほどNの削減が意識され、この傾向自体は和食も同じですが、スタートとなる基準のレベルが全く違います。
なぜこういう違いが生じたかと言うと、まず、日本は良質の水がほぼ無尽蔵に使えたから、ということは言えると思います。それに加えて味噌・醤油といった発酵調味料やだしのおかげで、Nの除去によって同時に減ってしまうSを簡単に補えたからでもあるのではないでしょうか。
油脂を使う料理が(畜肉忌避のために)あまり一般化しなかったのも一因でしょう。ちなみに油脂を使う場合でも、一度揚げたものにお湯をかけて油抜きをするというのも世界的に見たらなかなかレアです。油脂を使わない代わりに甘みを付ける手法が発展したのも大きな特徴です。
こういったことを通じて、和食においては「濁りの無い味」を良しとする価値観が育ちました。そこにはもしかしたら、清廉な味を愛する日本人ならではの精神性、みたいなものもあったのかもしれませんが、それを言い始めると「日本スゴイ」的な話にもなりかねないので、ここでは主旨に反するということで触れずにおきます。
そういう和食に対して欧米人は「味が薄い」「香りが足らない」という印象を持つことも多いようです。だから欧米人が和食を評価するようになったと言っても、実際に評価されるのはS増大に振り切っているものにおおよそ偏ります。ラーメン人気は実に象徴的ですね。
そして日本人自身も、欧米的な感覚をもつ人が確実に増えています。僕の中にも多少は確実にそれがあります。ミニマル料理は濁りの無い味を目指すという意味では実に日本的ですが、同時に、水でNを抜く(そしてそれに付随してSも一部逃してしまう)ことをいかに最小限にするかということも常に意識されています。