ご愛読ありがとうございます。『風紋』とそれに続く『晩鐘』をお読みいただいたのですね。
『風紋』を書いたきっかけは、当時のある風潮でした。その頃の日本は今よりも景気が好くて全体に浮かれた気分があり、テレビでは毎晩どこかのチャンネルで二時間ドラマが放送されていました。とにかく毎晩、どこかのチャンネルに合わせると『○○殺人事件』的なドラマが流れるのです。それらを漫然と見ていると、まず事件が起きて被害者がどこかに倒れています。そこに主人公が現れて大変乱暴な言い方をするならば、怖がる様子もなく、まるで被害者の遺体を跨ぐような、いかにも雑な感じで「犯人は誰だ!」と動き出すのです。毎晩毎晩、似たようなドラマを見ているうちに、私は「殺された人はどうなるの」という気持ちになっていきました。そんな、赤の他人からまたがれるような格好で地面に転がされた、その先は実際どうなるのだ、被害者にも家族があり、人生があっただろうに、そんなに簡単に「ドラマの道具」のように使ってしまっていいものだろうか、と思いました。
当時はまだ「犯罪被害者」という言葉さえなかった頃です。殺された人に対する世間の目は、それほど無関心だったのだと思います。そこで私は、本当に事件に巻き込まれてしまった場合に、被害者(もう亡くなっていますが)の身にはどんな変化が起こり、その後どうなっていき、被害者を取り巻く環境はどう変わり、どう広がっていくのか、ということを考えるようになりました。同時に、加害者の方にも目を向けなければなりません。どういう理由で殺害に及び、それが、加害者本人ばかりでなく、職場や家族にどんな影響を与えていくのか。一人の人が他人の手によって命を奪われた場合、その影響はどこまで果てしなく広がるのかを考えるために、当時の自分なりに精一杯に取材をした記憶があります。そして、『風紋』に続く『晩鐘』では、悲劇は決して簡単に終わらないということを書いたつもりでした。
犯罪抑止になるとか、そんなことはまったく考えていなかったのですが、とにかく「犯罪被害者」について考えてほしいという願いと、たった一つの命が奪われたことで、果たしてどれほどの人生が狂っていくかを描きたかった、という思いで、かなり長い作品ですが書いていった記憶があります。
作品は、作家の手を離れてしまえば、あとは一人歩きをして読者の方の手に届くものです。その方のところを一件ずつ訪ねていって「こんなつもりで書きました」と説明することなど不可能ですし、どのような形であれ、作品をお楽しみいただければというのが、一作家としての喜びであり、願いです。ですから、思わぬ受け取られ方をしたとしても、それはそれで十分に良いのだと思っています。