一つ一つの低評価レビューのせいで店が暇になるかどうかと言われれば、影響は実際まあ微々たるものでしょう。
むしろ決して少なからぬ低評価レビューが、誤解、経験不足、知識不足、そして何より「私は美食家でありその歯に衣着せぬ物言いが世間(お仲間)から高い評価を受けている」的な謎の自意識に基づいており、そんな自ら恥を満天下に晒して大丈夫?と、むしろそっちの方が心配になります。
ただし、場合によっては一つの低評価レビューが集客にクリティカルな影響を与えるケースもやはりあると思います。例えば、まだレビュー数がごく少ない初期の段階での低評価がそれです。次に続く人々が素直に高評価を付けづらくなるからです。
それだけでなく、それは、常に「辛辣な」低評価レビューを書きたくてうずうずしている「お仲間」を呼び寄せてしまいます。ますます高評価レビューは書きづらくなります。それは単純に、総合ポイントが目も当てられない数字になるという悲惨な結果も招きます。
現代の飲食店は、高評価レビュー(の連鎖)によって「上ハネ」する可能性もあり、店によってはそれを明確に狙って運営されるケースもある、というか個人店はそれくらいでないと存続すら危ういわけですが、ひとつの低評価レビューは(それで即客数が減るわけではなかったとしても)そんな上ハネの可能性の芽をつむかもしれません。
ただしもちろん全ての低評価レビューが害悪とは言いません。レアケースではありますが、中には的確な指摘もあるからです。これはユーザーの役に立つだけではなく、店側の改善にもつながり、長い目で見ると集客の面でも良い影響を与えるとも言えます。
また認識不足から来る低評価レビューは、時にその店のコンセプトを鮮明に浮かび上がらせることがあります。見る人が見たら「こういう人に価値が理解できない店ならきっと良い店だろう」となるわけです。
そんな功罪がある中、低評価レビューをつける時に必ず意識すべきことがあります。おそらく書いている人が思っているより、それは店主をはじめ店の人々に大きな精神的ダメージを与えるということです。書いている人は「たくさんあるレビューの中のひとつに過ぎない」と思うだろうし、だからこそ貶すと決めたらやり過ぎくらいに貶すのでしょう。しかし店はそのたったひとつにクヨクヨし続けるものです。他にたくさんレビューがあっても、それはもはや目に入りません。
それは時に店の方針を迷走させ、最悪、最大多数に文句を付けられないことばかりを意識する「つまらない店」になってしまいます。これはズバリ、社会的損失です。
素直な感想をそのまま書き込む自由は担保されるべきですが、そもそも低評価レビュー、言い換えれば批評は、高度な素養を必要とするものです。そして高度な素養がある「ふり」は間違いなく害悪です。素直な感想を書き込むだけにしても、このようなことは充分意識して然るべきなのではないかと思います。