田口善弘@中央大学:僕の経験を述べます。ただ、一般的な場合とはかなり違います。というのは僕は最初に出した単著でいきなり「講談社出版文化賞科学出版賞」(現在の講談社科学出版賞)という賞をとってしまったからです。出したレーベルも中公新書という老舗の名の通ったレーベルでした。賞を取ったのででかいホテルで授賞式をやって写真付きの記事で新聞にも報道されされました。 周りの反応はまったく変わってしまいました。僕自身は本を出す前と出した後では何もかわっていないのに、いきなりなんか優秀な有名人みたいな扱いになりました。まあ、あれですねテレビに出ている有名人がもてはやされるのとおんなじ。 悲しいことですが、人間の人間に対する扱いってそういうつまらないことで激変してしまうものなのですよ。 ただ本を一冊出しただけはそこまで激変しないと思いますけど。(もっと読む)
さえきじゅんこ:個人的に、本を最初に出したのは20代後半で、たまたま出版社の方が大学時代の読書サークルの先輩であり、ご縁をいただきましたが、テーマが遊女という当時は必ずしも学問的に注目されるテーマではなかったこともあり、新聞や雑誌でも書評やインタビューなどで紹介していただいて、自分でも思わぬ反応をいただきました。ただ、もちろん、賛否両論があり、売春を肯定するものだという批判もいただいて、著者の意図は、歌舞伎や能など芸能の世界での遊女の存在感の意味を明らかにしたかったので、売春肯定の意図は全くなかったため、著者の意図をこえて読者や社会が様々な解釈をされるものであると、その意味で大変社会勉強になりました。その後も何冊か本を出しましたが、反応がよいもの、がんばって書いた割にはあまり関心をよばなかったものもあり、本を出して人生が大きく変わるか、あるいは、周囲の反応が大きくかわるかどうかということは、本の内容や社会状況との兼ね合いもあるので、一概にいえないと思います。特に近年は、紙媒体の本よりも、動画を含むネット上の意見表明や発信のほうが、反応がリアルタイムでかえってくるので、ユーチューブなどのほうが、周りの方の反応の変化に影響を持っているかもしれません。この点については、自分自身がユーチューバーではないので、印象論ですが。(もっと読む)
川原繁人:出版した本によります(苦笑)。私は基本的に、専門の論文は英語で国際雑誌に、日本語で本を書く場合は一般向けのわかりやすい本を、というように住み分けを目標にしています。その中でも社会的に訴求力がある出版社から本をだした時には、一気に取材の問い合わせが増えました。 中でも感慨深かったのは、『フリースタイル言語学』を出したあとJUMPの編集部から声をかけてもらったことや、Mummy-DさんとZeebraさんのラジオに呼んでもらったことでしょうか。特にMummy-Dさんは本をしっかり読んでくれて、それ色々なお仕事を一緒にさせて頂くことになりました。 『音声学者、娘とことばの不思議に飛び込む』は、私としてはあくまで音声学の本として書いたつもりだったのですが、子育て本として読んでくださる人も多く、母の友からインタビューの依頼が来た時には、さすがにびっくりしました。現役の保育士さんなどからも感想を頂いて「幼児語を話すことが子どもをバカにしているような気分だったけど、幼児語の背後に潜む理由がわかってすっきりした」などと教えてくださって、とても嬉しかったです。 それから2017年に出版した『「あ」は「い」より大きい!?』に至っては、2022年にTwitterで「文庫化したいなー」とつぶやいたら、俵万智さんが「解説書きます!」と返信してくれたことは大事件でした。文庫化はさておき、俵万智さんとつながって対談まで出来たのはやはり私の誇りです。 研究者向けの論文だけを執筆していたら、このような機会に巡り合うことはなかったと思います。やはり一般に向けて本を執筆すると、学界内部の人たちとの交流だけでなく、外の人たちとも交流できるので、このような機会はこれからも大事にしていきたいと思っております。(もっと読む)
高橋賢:私が最初に本(研究書)を出したのは40歳になる年でした。本を出してから,自分の存在が学界で認められたと思います。本を出してからは,依頼原稿や学会報告の依頼が増えました。自分自身も,それまでの研究を体系化して一冊の本にしたことで,ものの見え方が変わったような気がします。周りの反応が変わるのもそうですが,自分自身が周りを見る見方の方が変わったような気がします。(もっと読む)
kmizu:私の場合、技術書なので一般書の場合とはやや違うとは思いますが参考までに。最初の書籍を出版したのが2011年頃でしたが、技術者としての自分の延長線上に書籍出版があったという部分が強かったので、周りの見る目が急に変わるということはありませんでした。 ただ、やはり商業で流通に乗る書籍を書いた経験があるというのは何かしらの意味があるようで、それから雑誌記事執筆のお誘いやイベントで講演して欲しいといった話は増えたような気がします。それと、当時は慣れないのでとまどったのですが自分が書いた書籍にサインをして欲しいと言われたこともありました。 総合して言うと、これまでよりも色々な人との接点が増えるきっかけの一つという意味でやはり影響は大きかったとは思いますが、人生をがらっと変えたとかそういう方向での影響はなかったという感じになります。(もっと読む)
結城浩:最初の本を出版したのはずいぶん昔のことですけれど、本を出版する前後で周りの反応は特に変わったことはありませんでしたね。何人かの知人から「なかなか読みやすくて良い本だね」のように本を褒められたくらいでしょうか。特に大きな偉業を達成したみたいに扱われたことはなかったと思います。リアルな知り合いの話はそんなところです。ネットでの「周りの反応」についての変化はわかりません。自分がネットで活動し始めたのは本を出版した後だったからです。(もっと読む)
越智 徹:技術書を過去何冊か出しましたが、本として世の中に出す以上(しかも技術書)間違ったことを書くとダメなので、わかっていることでもかなり念入りに調べて書きました。出版後、知り合いからは好評をいただいたり、その技術書を読んでこの分野に入っていきたい、という人からは、なんだかあがめられるような反応をもらったことがあります。あくまで一過性でしたが。 ここから先は自分自身の変化です。 ただこれまでももちろんそうだったのですが、本を書いたことによって、ちょっとした資料でもかなり調べる癖が付きました。とにかく世の中に何らかのアウトプットを出す以上は、当たり前なのですがとにかく正しいことを書くべきである、という意識がかなり強くなりました。(もっと読む)
牧野圭祐|脚本家・作家・ゲームシナリオ:わたしの場合は、特異な例なのであまり参考にならないかもしれませんが、反応が変わったということはないです。わたしはもともとシナリオライターで、原作のないオリジナルの作品の映画脚本を書いたとき、それのノベライズも自分でやって上映時に発売するという企画で小説を書きました。 文章を書く仕事をしていたので小説も書けるだろうみたいな雰囲気が最初から周りにはありましたし、それを出版したからといって他社から執筆の依頼が来るということもなかったです(その作品がもっと大きな話題になっていれば話は別だったかもしれませんが、そういうものではなかったので)。 知人に本を出した人たちが何人もいますが、何もないところから突然出版したわけではなくて、出版する下地があってのことなので、「そうなんだ、出したんだ」くらいの感覚です。古くからの友人が受賞して出版されると聞いたときは「おお!」と驚きましたが、それで関係性が変わるかというと、そんなことはなかったです。誰かの反応が変わるというよりも、これまでに関わっていないかった人たちとの接点ができる、という感覚ですね。(もっと読む)