ハロウィンを研究したことですね。
だいたい3年前に「渋谷ハロウィン」に興味を持ち、それを説明することを試みたことがあります。
知的なコミュニティを標榜するMondならこういう「込み入った」エピソードもありえると思いますが、どうでしょう。
まず誰でもできる説明は「渋谷ハロウィン」はじめ、
日本のハロウィンは「アイルランドのハロウィン」を継承していないということです。
アイルランドのハロウィンは日本でいうお盆であり、死者が蘇る厄日であるとされています。
「トリック・オア・トリート」と言ってお菓子をもらうのは米国版ハロウィンであり、
日本も多少は米国の影響を受けていると想像できます。
他方、この説明は多くの点で不十分ですね。
この説明だけだと下記のような「暴力的なハロウィン」を説明できません。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO38698560X01C18A2CC0000/
上記記事は2018年の渋谷でのハロウィンで人々が集まってトラックを押して横転させ、
横転したトラックの上でも騒ぐ人々の様子が記録されています。
彼らはトリック・オア・トリートといい、かぼちゃをかぶる米国式とも関連があまり見いだせません。
なので西洋、合衆国との関連は一旦棚上げし、日本の祭りとの関連を調べました。
してみると暴力的な祭りこそ日本の祭りだと言わんばかりの多くの情報が見つかりました。
https://digital.asahi.com/articles/ASMBY4QMBMBYPTIL014.html
上記記事は「死人が出るぐらい」は祭りで問題とされないことが透けて見える記事です。
論理的には網野善彦によってこの観点は説明されています。
『日本の歴史をよみなおす』及び『無縁・公界・楽』の中で網野善彦は
「ハレの日/ケの日」という概念で日本の祭りの無秩序を説明しています。
ケの日は日常で法律と秩序が守られる「退屈な日」です。
しかし祭りの日は「ハレの日」であり、この日だけは特別に普段の規範に反していい、
反することによって鬱憤を晴らす人と分析されています。
こうでもなければ「死人が出る」ことに全く反応しない心理はなかなか説明できません。
以上の事実から「渋谷ハロウィン」とは日本的な暴力的な祭りを「ハロウィン」という対外的な祭りのガワで行う、
あくまで「日本的な祭り」であるというのが3年前の私の結論でした。
後にクリスマス研究でも「なぜ日本のクリスマスは合衆国や西ヨーロッパのものと異なるのか」という問題に出会いましたが、
こちらも同じように「日本の祭りを、なぜか名前を外来のものに変え、外見だけ渡来のものを踏襲しつつ内実は全く日本的なことをおこなう祭り」という指摘が先行研究において見つかりました。
……というのが私のハロウィンのエピソードです。
https://www.youtube.com/live/zK4nfBKNUYU?si=_nRfzvtmWUwYI78q