ご質問ありがとうございます。

「これを満たしたら本を書き始めよう」といった「本を書き始める基準」と呼べるものは明確にはありません。しばらく考えてみたのですが、少なくとも「この三条件を満たしたならば本を書き始めよう」みたいに客観的で明確に項目を挙げられるようなものは見つかりませんでした。もちろんこれはあくまで私個人が本を書く場合の話です。他の著者さんの場合にはあるのかもしれません。

しかしながら、「特定の本を書き始めるきっかけ」となりやすい項目はないわけではありません。とても主観的・感覚的な話ではありますし、このきっかけがあれば必ず書き始めるという種類のものではありませんが、ご興味があるかもしれないので思いつくまま列挙してみます。

まず「自分が深く心を動かされたことがらに触れたとき」には、それに関する本を書き始める可能性があります。逆の言い方をすれば、自分はあまり心を動かされていないけれど、仕事だから書き始めるか……みたいなことはありません。結城はこれまで60冊以上の本を書いてきましたが、そのすべては何らかの意味で心動かされたものといえます。

それに関連していますけれど「これはおもしろいから読者さんに伝えたい!という強い気持ちが生まれたとき」には本を書き始める大きな後押しになりますね。私が深く心を動かされたとしても、それが非常に個人的なことで普遍性に欠けている場合には、あまり本を書こうとは思いません。

本を書く準備に関していうならば、本を書く準備が完全に整ってから書き始めようとは思いません。これは私が強く感じていることですけれど、本を書く準備が完全に整うときというのは来ないからです。本を書くというのは、その対象をよりよく理解するためのプロセスの一部なので、本を書き始めてみないことには何を準備すればいいかすらわからないことも多いのです。伝わりますかね。まずは自分が持っている情報だけでいいから書き始めてみて、その結果、何が本当に必要なのかが少しずつわかってくるという意味です。

ものすごく主観的な表現になりますが、「おっ、このくらいの本ならいまの自分でも書けるんじゃね?」という激しい勘違いというのも書き始めるために重要なポイントです。これについては難しすぎてぜんぜん書けないな、というときは(当然ながら)書き始めません。「書けるんじゃね?」という勘違い、うぬぼれ、調子に乗った誤解、いきおい、思い切り……みたいなものでひょいっとスタートすることは非常によくあります。書き進めていくうちに「あっ、こんなにたいへんな話だったのか……」といつも気が付くのですが、もう後戻りできないから進むしかない。そんなふうにして出来た本はたくさんあります。

二十代、三十代のときとは変わってきた部分もあります。年を重ねるにつれて「これはおもしろい題材だし、きっと自分にも書けるだろうけれど、書かない」という判断をする場合が増えてきたように思います。特に「私が書かないと他の人が書いちゃうから、自分が急いで書こう!」という気持ちで書き始めることはほとんどなくなりました。別の言い方をするなら「他の人が書くなら、わざわざ自分が書かなくてもいい」と考えることが多くなったのです。私は本を書くスピードがそんなに速くないので、一冊書くのにたいへん時間が掛かります。なので、せっかく書くならば「私ならでは」の本を書きたいと思っています。つまり、「この題材については、私ならではの本が作れそうだと感じたとき」には本を書き始めたくなりますね。

以上で、あなたのご質問へのご回答とさせてください。

※この質問はスーパーレターとしていただきました。感謝します

8か月

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