AIが相手である場合に限らず「誰かに何かを質問して、回答を得る」というときには、ある程度の前提知識は必要ですし、得られた回答を吟味する力は必要じゃないかと思います。また、質問に対する回答を考察することにより、深いレベルでの納得感や新たな知見を得るためにはある程度の洞察力も必要でしょう。
そのように考えるなら、あなたが質問で提示なさっている「対話的AIは思ったより人間をしあわせにしていない」というのは、いささか対話的AIに期待しすぎなのではないかと感じました。
対話的AIとどのように付き合うかは今後人類が学んでいくことになると思います。それはちょうど人類がコンピュータとどのように付き合うか、あるいはインターネットとどのように付き合うかを時間を掛けて学んできているのと同様です。
現時点であっても、対話的AIは人間に役に立つ部分は多々あると思います。人間相手には恥ずかしくてきけないような「愚かな質問」をしたり、以前質問して回答してもらったことについての質問を再度繰り返したりできるからです。同じような「愚かな質問」を真夜中に何度も何度も繰り返されたら、人間の回答者ならばうんざりしたり怒り出したりするかもしれません。しかし、AIならばうんざりもせず怒り出したりもせず、それなりの回答をしてくれるでしょう。
「役に立つ」と「しあわせになる」が異なる点も大事です。あなたの冒頭の一文では「しあわせにしていない」と表現していましたが、それ以外の部分は「しあわせにする/しない」ではなく「役に立つ/立たない」と表現するのが適切じゃないかと思います。
自分に知識がまったくなく洞察力もなくても、しあわせになる回答を得るというのはなかなか想像が難しい世界ではないでしょうか。
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質問がうまくできないと対話的AIが思ったほど活用できないというのは事実です。だからこそ巷には「ChatGPTのプロンプトの作り方」みたいな本がたくさん出回っているわけですね。一つのヒントとしては「それ自体をAIに質問する」という方法があります。前提知識がなくて適切な質問ができないなら、AI自体に「これこれに関して自分には適切な質問が思いつけないのですが、何を質問したらいいでしょう」のように質問しちゃうのです。
「うまく質問できないからAIを役立てられないなあ」と感じる人はあなたに限らずたくさんいらっしゃると思います。質問そのものをAIに尋ねるというのは一つの良い方法です。なぜなら、きっと他の多くの人も同じように感じているからです。
また、AIの回答から人間が「学ぶ」ことは多々あると思います。前提知識がなくても、AIの回答から少しずつ知識を得たり、洞察力がなくても、AIの回答から「この質問に対してはこんな回答が可能なのか」とメタな知識を得たり。
そのようなやりとりができる相手(しかも、時間や回数を問わずできる相手)を人類が得たことは、大きな意味があると思いますがいかがでしょうか。
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これからの時代、AIは確実に進化していきます。(すべてがバラ色といいたいわけではありませんが)おもしろい時代になると思いますよ。