結論から言うと、第三者からみて問題があるのかを考えるのをやめましょう。
世の中には全方位からみて正しいことなんて1つもないですよ。
長所と短所は必ず存在してしまう。
だから、あなたがどう思うかが重要であって、たとえ他人がどれほど賞賛しようと、あなたにとっての優先度で決めるしかない。
あなたが考えて、あなたが決断するしかない。
にもかかわらず、あなたはずっと他人の意見を気にしています。
担当編集者の情報を検索し、他人からどういう評価の人間か調べた。
すると困ったことに、実績だけ見ると魅力的な編集者だった。
「ダメ編集」という検索結果が出てくれば良かったのに、他の作家さんとは仕事で結果を出している編集者だと解った。
さて、ここからが重要です。
他人の意見を調べたあげく悪い結果が出なかったことを受けて、あなたが次にやったことは、私に「この編集さんは問題があるのか 客観的に見てどうなのか」と質問を投げかけることでした。
なぜそんなことを聞く必要があったのでしょうか?
検索の結果、担当者は仕事が出来る人だと解っても、依然としてあなたは嫌だと思ったわけですよね。
客観的情報を調べても、あなたの考えは変わらなかった。
にもかかわらず、なぜまた他人である私の意見を聞くのでしょうか?
私から「別に問題はないかと」と言ってもらえたら、この編集者との仕事が急にいいものに感じるようになれると思ったからですか?
違いますよね。
私でも誰でもいいから、「この編集者はダメな奴」と言ってもらいたかったからですよね。
あなたは自分では決断しないくせに、どうしてもどうしても、自分の思い通りのことを他人から言ってもらいたいと思ってる。
自分が望む意見が他人から出てくるまで、周りに聞き続ける。
つまり、他人の意見なんて最初から欲してないんですよ。
意見を聞く気はないのに、自分の決断ではなく「他の人もこう言ってる」と他者のせいにする方法を探している。
…おそらくですが、担当者の言ってる「自分で考えて欲しい」という言葉は、今回の相談文からでも読み取れる、あなたの「頑固なくせに、他人からの許諾を得たい」という思考のクセへの指摘から出ているものだと思います。
担当編集者のことを、”本当に厳しい方で、容赦なくダメ出しをしますし”と書いた次の行で”ダメな理由を求めた時には「自分で考えて欲しい」と突っぱねられた”と書く。
つまり、容赦ないダメ出しと言いつつも、例に出されていた「ヒロインが可愛い子ぶってて好かれない」というダメ出しは、ダメな理由としては受け取ってないということですよね。
担当編集の意見を受け入れないこと自体は、全く問題ないです。
「可愛い子ぶってる子のなにがダメなの? 可愛い子ぶったっていいじゃん!!」
それが作家としてのあなたの美意識ならそれでいい。
「どこを読んだら、この子が可愛い子ぶって見えるのか? そんなキャラのつもりで書いたんじゃないのに…」
と思ったなら、それでもいいです。
作家として、あなたが担当編集という他人からの意見を受けて、考えるべきことはたった1つです。
どうやったら読者の感想を変えることが出来るか。
「可愛い子ぶってるヒロインで魅力がないっていう感想を持たれちゃったけど、可愛い子ぶってる女は最高!って思わせたかったんだよな…。どうやったら魅力が伝わるかな…。もっといい描き方はないか…」
とか、
「全然違うキャラを書いたつもりだったのに、なぜ感想が可愛い子ぶったヒロインになってしまったんだろう…。どこでそんな齟齬が出たのか…。自分の表現したいキャラとしてちゃんと読んでもらえるようにするには、どう表現しよう…」
など、担当からの「現状こう読めます」という感想を受けて、自分のやりたいこと・自分の描きたいことに合わせて、どうしたいかを考えるのが作家さんの仕事です。
そもそもなんですが、新人さんの多くは、自分の思った通りに表現出来ません。
立方体を描いて、それがコンクリート製なのか、蒟蒻なのか、はたまた土の塊なのか、上手い人なら描き分けできますが、下手な人は描き分けれないですよね。伝わらない。
それと同じように、文章にしろ演出にしろ、作家が「描いたつもり」のものを、ちゃんと他人から見てもそう見えるように表現するというのは、なかなか難しいことです。
だから、担当編集者がいるんです。
思った通りのものが出力できているか確認するために存在している。
鏡みたいな存在です。
頭の中でコーデを組んだ時は良さそうだったけど、実際合わせてみたら変とかあるじゃないですか。
あれと一緒です。
だから、あなたの担当は「今の状態は、こんな感想を抱いちゃう見え方になってますよ」と正確な鏡としての感想を言ってるわけです。
ネガティブな感想だった場合、それはダメ出しになる。
さて、そこから「なぜ可愛い子ぶってる子はダメなんでしょうか?」と聞かれても、編集者は困ってしまいます。
なぜなら、別に可愛い子ぶっててもいいからです。
魅力的なら、別に問題無い。
好感度が低いヒロインだったとしても、漫画として面白いならそれでOKなんです。
編集者の意見なんてない。
むしろ編集者は全て正解だと思っていないといけない。
だから重要なのは、作家であるあなたの意志です。
あなたがそもそも何を描きたいと思ってて、現状の感想に対して、どうしたいと思ってるのか。
あなたが考えないと。
あなたが「可愛い子ぶった子を魅力的に描きたい」と決断することによって、「可愛い子ぶるという行為をどうやったら他人に素敵なことと思わせることが出来るか」という次のステップに進めます。
あなたが「全然違う子を描いたつもりだったのに、表現が拙いせいで読み取り違いをされてしまった。本当はこういう子を描いたつもりだったんです」とあなたの意志を話すことで、「どうしたら思った通りのヒロインに見えるようになるのか」という議論に進めます。
なのに、おそらくですが、あなたは自分の意見をちゃんと持ってるのに、担当の意見・考えを聞いちゃうんじゃないですか?
「可愛い子ぶった子はやめた方がいいですか?」とか他人に考えを聞いては、自分と同じ意見ではなかった場合は聞き流し、自分と同じ意見を担当が言ってくれるまで「考えを知りたい」と質問し続けてしまう。
今回の質問と同じような状況が、打ち合わせの場でも起こってしまってるんじゃないですか?
……私にはこの編集者が本当に嫌な奴なのか、それとも良い編集者なのかは解りません。
物言いが本当に酷いのかどうなのかも、解りません。
でも、たとえ100人の作家さんのうち99人がいい編集だと言ったとしても、あなたにとってNOなら、NOでいいと思います。
あなたがどうしたいのか、自分の意見で決断してください。
自分の意志で、行動できるようになってください。
それが出来るようになりさえすれば、担当を変えようが変わるまいが、雑誌を変えようが変わるまいが、色々道は開けると思います。