芥川賞はいつからエッセイ調の作品が好まれるようになったのでしょうか?

作者の経歴をこれでもかと前面に押し出し、実体験に基づく小説だと宣伝。ノミネート作品を審査する際、作者がどれだけ取材を重ねて書いたものでも「作者は物語の当事者じゃないからダメ」と棄却。日本人が海外を舞台にしたものを書く場合は作者自身がその時代、その場所にいないと棄却。被災者でなければ災害のものを書くのもダメ。戦争経験者でなければ戦争を題材にするのもダメ。

作者自身の実体験に基づく魂の叫び だけ が純文学として崇高な文学で、賞賛を送るに相応しいカタルシスであり、国内最高峰の文学賞を与えるというのなら文壇関係者はnoteやはてなブログ、Xの長文連投を引っ張ってきて芥川賞を授与すれば良いのでは?と思います。

昔の芥川賞受賞作はもっと書き手の想像力、共感力、取材力、そして分筆力に信頼を寄せ、フィクションの名のもとに自由に描かれていた世界を評価していたように思います。

そもそも芥川の作品だって芥川は物語の当事者じゃないですし……いつから実体験に基づいて吐き出された感情しか文学として認められない社会になったのですか?

『どれほど綿密に取材を重ねていたとしても空想上の物語は全てラノベであり、読むに堪えない陳腐なもの』『作者の経歴に基づく文学こそが真実である』と履き違えている人でもいるのでしょうか?

  芥川賞について、大変お怒りのようですね。

 正直なところ、私は直木賞受賞者ということもあってか、芥川賞の候補作、受賞作などの熱心な読者ではありません。と、申しますより、あなたが仰る通りかどうかは別として、あまり心を動かされることがなくなり、多少、遠ざかっていると言ってもいいのかも知れません。それは、受賞作家との年齢的な隔たりも関係しているのかも知れませんね。

 直木賞ももちろん、芥川賞も数人の選考委員によって選ばれるものです。その候補作を、あまたある作品の中から、まず「ふるいにかける」のは編集者の方々の仕事になります。従って、編集者の方々が時代と共にどんどん若くなり、感性も違ってくれば、まず選考委員の前に並べられる作品そのもののテイストが変わってくるだろうと思います。

 若い編集者たちが、過去の受賞作にとらわれることなく、「実験的」であろうと、新しい息吹を感じられるものを選んでくるということは十分に考えられることではないかと思います。

もともと芥川賞候補作は、限られた文芸誌に掲載されたものの中から選ばれます。ですから、

どんなに芥川賞向け(?)に書かれた作品だとしても、その他の媒体に掲載されたものは、候補にすらのぼらない、ということもあるのです。

 その他のことは、私にはよく分からないので、お返事のしように困るのですが、とにかく芥川賞はある意味で「実験的」であり、読者に向けてというよりも、自分の内面に向けて書かれる作品が選ばれるのではないかという印象を私はもっています。「誰のために書くか」ということの意識が、エンターテインメント小説と俗に言われる直木賞作品とはいちばん違うところだという気がします。

5か月

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